◎避難は地面の下が一番(昭和一八年「時局防空必携」より)
一週間ほど前に、大西進氏の『日常の中の戦争遺跡』という新刊を紹介した。その二二三ページに、一九四三年(昭和一八)七月二二日の朝日新聞記事(「避難所」の造り方)の縮小コピーが載っている。しかし、これを「記事」として読むのはきわめて難しい。
データベースは、おそらく当時の縮刷版だと思うが、その縮刷版がそもそも判読しづらいものなのではないか。当時は、活字や用紙などの事情により、「原紙」自体が、判読しづらいものになっていた可能性もある。
無理を承知で読んでみると、次のような記事であった。
地面下が一番安全
“時局防空必携”の解説……1
避 難 所
大東亜戦争が始まつてから防空実施の命令が発せられてゐる、すなはち今は防空実施中である、ところでわれわれが家を護り国を護るには果たしてどの程度の設備と訓練が必要であらうか、この二十一日発行された週報〔雑誌名〕の「改訂時局防空必携」の中から次に拾つてみよう
避難所を造るときの注意
家庭の避難所は地面を掘り下げて造つたものが安全であり、これに比較すると地上に設けたものは大分効力が劣る
従つて、やむを得ないもののほか、地面下に造ることがよい、建物の構造や四囲の状況により、地面下に造ることの出来ない場合は、地上または床上〈ユカウエ〉に造る
床上に造る場合、日常生活に差支へががある場合には警戒警報が発せられたらすぐ造ることにし、その準備をして置かねばならない、屋内か屋外かは敷地や建物の状況、付近の家屋、術工物(工作物)樹木等の状態、土質、地下水位の特性等を十分に現地で研究し、よい方にきめ、屋内床下〈ユカシタ〉に造る場合は、特に出やすいやうにすることが大切である、屋外に設けた場合は、上からの落下物に対し、掩護〈エンゴ〉援護するため布団や鉄兜〈テツカブト〉等で頭や肩を蔽ふ〈オオウ〉やうにし、また図〔略〕のやうに畳などをのせるのも一方法である
なほ避難所は老人子供等の養護の場所にもなるが、家族の多い家庭では一箇所に大勢集ることは万一の場合に被害が大きくなるから一箇所五人程度にし、且つなるべく分散して造ることが望ましい
読点(テン)があって、句点(マル)がないが、かつての新聞においては、これがスタンダードな表記であった。
術工物〈ジュツコウブツ〉という言葉が珍しいが、これは工作物を示す軍事用語のようである。
さて、ここで説明されている「避難所」とは、今日、私たちが知っている「防空壕」とほぼ同義と思われる。このころはまだ、「防空壕」という言葉は、一般的ではなかったのか(避難所のうち、屋外の地面下に造られたものが「防空壕」という位置づけになるのであろう)。
なお、この新聞記事は、内閣情報局発行の雑誌『週報』第三五三号を踏まえている。ご関心のある方は、「週報 第353号」で検索してみてください。さらに情報が得られます。
今日の名言 2012・7・25
◎待避所は一カ所に大勢集まると直撃弾の被害が大きくなる
『週報』第353号(昭和18年7月21日号)より。上記新聞記事の「一箇所に大勢集ることは万一の場合に被害が大きくなる」という記述は、『週報』のこの記述に対応しているようである。ここのところ、地震・津波・原発事故・竜巻・集中豪雨などが続いている。戦時下のこうした「情報」が、再び、国民の「心得」となる日も近いかもしれない。
*平成地震かるた* 「余白」さん、投稿ありがとうございました(6月15日のコラムへのコメント)。私も作ってみました。【い】命からがら避難所へ【は】初めて聞く計画停電【へ】ヘリコプターから注水【り】陸前高田の一本松【る】留守のあいだに家畜全滅【わ】悪者にされた菅首相【よ】夜道をゾロゾロ帰宅難民【れ】列を作って入浴し【く】車を呑みこむ黒い波【こ】これに懲りよ保安院【て】テレビCM自主規制【せ】世界の言葉フクシマ