礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

私立医学専門学校「不正入学」問題の余波(付・京大滝川事件)

2012-07-01 04:45:19 | 日記

◎私立医学専門学校「不正入学」問題の余波

  昨日、昭和初年における私立医学専門学校等の「不正入学」問題について紹介したが、この事件には「余波」があった。『教育思潮研究』の第七巻第四輯(一九三三年一一月)の「教育時報」欄に、次のような記事が見られる。

―昨春〔一九三二年春〕私立医、薬、歯科大学専門学校のインチキ経営振りが文部省の断然たる摘発によつて明るみにさらけだされ一世を驚倒せしめたが本年度〔一九三三年度〕におけるこれ等〈ラ〉諸学校への入学志願者は半減乃至〈ナイシ〉三分ノ一減といふ驚くべき大激減振り〈ブリ〉を示してゐる、昨年もつとも問題になつた明治薬学専門学校の如きは昨年の入学志願者千二百余名であるのに本年は六百余名で正に半減、日本歯科大学は昨年の二干四百名に対し本年は千八百名で三分ノ一減である、……―

 すなわち、一九三二年(昭和七)春に、私立医学専門学校等の一部が、「不正入学」の調査および卒業者の「学力試験」の対象になったことで、翌年における私立の「私立医、薬、歯科大学専門学校」の入学志願者に大きな変動があったというのである。

 次に挙げるのは、「私立医、薬、歯科大学専門学校」都下一一校における両年度の入学志願者数である(同誌記事による)。 

          昨年度   本年度

日本医大    一八〇〇  二四〇〇  六〇〇減

明薬        六六〇   一二〇〇  五四〇減

日大歯科    一八〇〇  二六〇〇  八〇〇減

東京女医     三〇〇   四五〇   一五〇減

共立女薬専    二〇〇   三〇〇  一〇〇減

昭和医専    一七〇〇  二五〇〇  八〇〇減

東京薬専    一〇〇〇  一三〇〇  三〇〇減

東京医専    二五〇〇  三二〇〇  七〇〇減

帝国女医専

(医)        三〇〇    五〇〇  二〇〇減

(薬)        二七〇    二七〇   ―――

慶応        九五〇    八六〇   九〇増

慈大       一五〇〇  一六〇〇  一〇〇減 

 なかなか興味深い表である。これを見ると、一九三二年春における文部省の一部私立医学専門学校等に対する措置の影響が、「私立医、薬、歯科大学専門学校」一般に及んでいることがわかる。

 たとえば、「共立女薬専」は、一九三二年春における文部省の措置の対象になっていないが、それでも入学志願者数が「三分ノ一減」となっている。また大学は、一九三二年春には文部省の措置の対象になっていないが、それでも入学志願者数に大きな変動が見られる。当時の私立「医・歯・薬」教育関係者にとっては、これは、きわめて重大な事態であったはずである。

 ちなみに、長崎医科大学事件で同大学教授を辞した浅田一〈ハジメ〉博士が、東京女子医専に赴任したのは、一九三四年(昭和九)の四月のことであった(一昨日のコラム参照)。口にこそ出さなかったであろうが、浅田にとってこれは、「失意」の転勤だったと思う。 

今日の名言 2012・7・1 

◎この種思想問題の為めなら学校閉鎖も辞さぬ 

 1933年(昭和8)の京都大学滝川事件に際して、当時の鳩山一郎文部大臣が発した言葉。『教育思潮研究』第七巻第四輯(一九三三年一一月)271ページより。なお、同誌同号の「教育時報」欄では、「京大滝川教授の刑法読本筆禍事件に端を発した京都帝国大学の紛擾」の経過が、15ページにわたって詳細に記されている。

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