◎東京支部(渋谷)における「朝詣り」の様子
昨日の続きである。本日は、『「ひとのみち」の御利益しらべ』(大同出版社、一九三六)から、ひとのみち教団東京支部(渋谷)における「朝詣り」の様子を紹介する。
なお、「朝詣り」は、同教団における重要な儀式のひとつで、〈アサマイリ〉と読む。
引用は、同書の冒頭、一~四ページより。ひとのみちについて、先入観を持っていない著者・富田岩夫が、一九三六年(昭和一一)一月の早朝、ひとのみち教団東京支部を訪ねるという設定である。
「ひとのみち」の御利益しらべ 富田岩夫
第一篇 教団の組織
一 朝 詣 り
憂鬱だつた政界天気も一月二十一日の第六十八帝国議会の解散断行で、一拭〈ヒトヌグイ〉、がらりと晴れ上つた翌朝、といひたいとこだが、実は未だ真暗〈マックラ〉な五時に、筆者は数年にない早起きをして、渋谷の「ひとのみち」教団東京支部へ朝詣りを試みるべく、かなり辺鄙な郊外から省線の渋谷駅で降りた時には、丁度〈チョウド〉六時だつた。しかも、その朝は後で知つたのだが、今までの寒さのレコードだつたさうで、全く身にこたへて凛かつた〈サムカッタ〉。
ところで、第一その支部の所在地なる大向通り〈オオムカイドオリ〉が何処だか知らないのだ。朝から人に路〈ミチ〉を訊く〈キク〉のも業腹〈ゴウハラ〉だと、ためらつてゐると、五六間〈ゴロッケン〉先を、無帽で外套の裾から袴をのぞかせた五十年配の男が、白い息をはきながら、時々寒冷さ〈サムサ〉のために掌〈テ〉で耳を蔽つては大跨〈オオマタ〉で急いで行く。また、それと列ぶ〈ナラブ〉やうに細君らしいのが小走りで跟いて〈ツイテ〉行くとのが、眼についたので、
『あれが夫婦の愛和道〈アイワドウ〉だな』
と知つて、「ひとのみち」の朝詣りに違ひないと、あまりあてにもならぬ第六感から、その二人に尾行しはじめた。…………
『違つたかな。』
と、稀には起きた店舗もある商店街を大分歩いてから、気になつて来た。もしや、この二人は昨日〈キノウ〉から「前」を冠することになつた代議士の宅でも訪問するのではなからうかと思つたりしたが、私の横を疾走した自動車が、緩い勾配になった一町ほど先の小高い所でバツクすのを見て、あそこまで、とにかく尾行してみようと、なほも歩行をつづけた。
やがて、無言で道案内をしてくれたところの二人は、そこの門前の石甃〈イシダタミ〉に屯つて〈トマッテ〉ゐた四五台の自動車のかげに、吸ひこまれるやうに中へ走つて入つた。見れば、石門に「扶桑教ひとのみち教団東京支部」とあつたから、はじめてほつとした。
私は、妙に落着かない気持で、門内を二三歩進みかけた時、黄色な襷〈タスキ〉をかけた青年が、竹箒〈タケボウキ〉の掃く手をやめて、
『お早よう御座います。』
と、元気な声で挨拶されたため、私は反射的に、元気な心持になれた。そして、丘のやうな急な坂道を登ると、社殿風な正面玄関がある。そこを左に見て地下道に廻ると、かなり広い、下足と外套の預り所があつて、詰めてゐる背広姿の下足番達、いや大勢の青年会員のものごし態度が、宗教風景の特長であらうところの、柔らかく謙譲だつたのには嬉しかつた。それに先刻〈サッキ〉から、さかんにマイクロホンを通した講演が頭上から聞こえて来る……。
それから、一隅の階段を昇つて、前に見た明るい表正面に出て、扉を開けて一驚を喫した。
そこには社会の雰囲気からかけ離れた、和やかな「ひとのみち」風景を展開してゐるところの、百八十畳敷の神前大広間には約千人あまりの男女の信者で埋まつてゐたのには、全く目を瞠つた〈ミハッタ〉。もっとも、前には毎日千三四百人余〈ヨ〉の朝詣りがあつたのが、現在では東京市内だけでも、ここ以外に十二の支部が創設されたから、それでこれ位に減つたとの話だ。信者は男が六分に女が四分位の割合で、年齢は中年者が多く、次は青年で、老人は僅少だつた。階級は概して中産者で、インテリが主〈オモ〉のやうに見受けられた。【以下、次回】
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