◎富田岩夫とは誰か
昨日の続きである。『「ひとのみち」の御利益しらべ』(大同出版社、一九三六)から、ひとのみち教団東京支部(渋谷)における「朝詣り」の様子を紹介している。
本日、引用するのは、昨日に続く部分で、ページで言うと、四~七ページ。
だが、既に規定の六時から遅刻すること約三十分後になるので、大半の行事はすんでしまつたと見えて、正面の神床〈シンショウ〉前〈ゼン〉板間〈イタノマ〉の卓〈テーブル〉を前〈マエ〉にした奉仕員が、マイクロホンを通じて、
『近来「ひとのみち」教団が日に月に急速な発展をするために、世人は本教の内容も教理も更に究めずして、徒ら〈イタズラ〉に中傷し誹謗するの事実を見て、吾人〈ゴジン〉は実に遺憾に堪へざる次第であります。而して本教は、これ等に対して今日まで余りに保守的に過ぎたので、この際積極的に教団を護るやう一致結束して、本教教義の認識徹底に邁進すべく、今回、我等奉仕員一同は(と、すぐ近くの板戸に貼つた「決議」を指さして)取り敢へず「決議書」を発表しました。何れ〈イズレ〉具体的な方針は追つて協議する筈ですが、これが則ち〈スナワチ〉国家に忠なる所以であり、また道を護るものの責任であることを痛感するのであります……。』
といつたやうな悲憤慷慨な内容の演説を、拍手と共に拝聴しただけだつた。
次には、同じ壇上に、別の着袴〈チャッコ〉した男が立つて、コンダクターの格で両手を挙げて拍子をとりはじめると、一同は起立して、軍歌のやうな勇壮な曲で、
『明治の御帝〈ミカド〉鎮座ます〈シズミマス〉代々木の森に……』
なる「ひとのみち」東京支部歌をピアノ伴奏で歌ひ出した。筆者の目前で三歳位の男児〈オトコノコ〉が、その父の肩車に乗つて黄色い声で合唱してゐたのは無邪気だつた。
これで朝詣りの行事が終つたと見えて、会衆一同は四方に散りはじめた。が、その中央なる神床の両横から、
『今日はじめての御方は、どうぞ、こちらへお出で下さい、御話をいたします。』
と、さかんにメガホンで呼んでゐたが、それは「新教話」といつて、教団に初めて来た人達を別室に集めて、入会すると否とを問はず、「みしらせ」「みをしへ」「おふりかへ」などの教〈オシエ〉の概略を、教師、または指導係が話して聴かせるのだ。しかし、そこへは行かすに、一巡してみやうと廊下へ出た。
その廊下の外の高台なるバルコニーでは、眼下に遠く櫛比〈シッピ〉した人家を跳めながらシヤツ一枚の若い信者二十名位が、朝の大気のなかで体操をはじめて居た。
『若い人は元気ですなあ。』
と、羨ましさうに老人が、筆者に話しかけたりした。
見れば、先刻〈サッキ〉からしきりに廊下を通り抜ける人が多いので、一緒になつて行くと、「求人求職相談所」とした事務所がある。そこから五六段ほど、段階を降りると、かねて聞いてゐた「名物」の大食堂があつた。既に満員なので、十人ほどは空席を待つてゐる景気だ。八人詰の角卓〈カクタク〉十二列べて〈ナラベテ〉あつて、その各卓〈テーブル〉の真中に湯気のたつ大きな櫃〈ヒツ〉が置かれ、お菜〈オカズ〉は一品だけだつたが元気横溢でかきこんでゐた。その人数は、現在では平均五六百人位だが、前〈ゼン〉には千二百人見当が平常だつたさうな。しかし大勢の中だから信者でなくて飯だけ食ふ者もあるに違ひないが、かなりな米の数量になるだらうなどと胸算用〈ムナサンヨウ〉をしながら、早々に再び広間へ出て来た。
編者の富田岩夫は、こうして、渋谷区大向通にある「ひとのみち」東京支部(東京市渋谷区大向通一七)における朝詣り〈アサマイリ〉の様子を描写してゆく。
明らかに「プロ」が書いた文章である。読みやすく、独得のリズムがある。かなり主観性が強く、漢字の選び方、読ませ方にクセがあるので、記者というよりは、むしろ作家であろう。
書き写していて、これによく似た文章を、以前に、何度も読んでいるような気がしてきた。すなわち、サンカ小説家・三角寛〈ミスミ・カン〉の文章である。あくまでも勘にすぎないが、『「ひとのみち」の御利益しらべ』の編者・富田岩夫というのは、三角寛の別名なのではないか。三角寛が、同書の全編を書いているとは思えないが、少なくとも、訪問記は、三角が書いているのではないか。
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