礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「邪宗」を弾圧して疑似宗教国家が生まれる

2014-11-26 05:46:45 | コラムと名言

◎「邪宗」を弾圧して疑似宗教国家が生まれる

 高津正道は、「反宗教運動者」を自称していた。彼が立脚していた立場は、「無産者大衆」である。そうした高津にとって、大本教、ひとのみち、生長の家、天理教、金光教などの「新興諸宗教」は、「邪教」ということにならざるをえない。
 しかし、新興諸宗教を邪宗として攻撃する、こうした高津の(あるいは高津らの)反宗教運動に、どのような「意義」があったのだろうか。
 高津の立場あるいは主張を、原理的に批判するつもりはないし、そもそも私には、その資格も力量もない。しかし、その後の日本の歴史を知る者として、当時の高津が示していた立場や主張に対し、疑問を呈することは許されるだろう。
 第一に、高津のいう「新興諸宗教」は、高津らの「反宗教運動者」が批判するまでもなく、既成の宗教教団によって「邪宗」視され、批判されていた。さらに、「新興諸宗教」のうち、特に勢いがあり、信者を増やしていた「大本教」(「大本」の俗称)と「ひとのみち」(「扶桑教ひとのみち教団」の略称)の二教団は、昭和一〇年代初頭、国家権力から危険視され、徹底的に弾圧され壊滅させられている。高津らの「反宗教運動」は、その真意はともかくとして、こうした国家による宗教弾圧に道を開く、「露払い」的な役割を演じたとは言えないか。
 第二に、こうした「新興諸宗教」を弾圧した国家権力は、これと並行して、既成宗教に対しても、統制あるいは弾圧の手を加えていたことに注意すべきである。その典型とも言える例として、日蓮門下の法華宗(厳密には、旧本門法華宗)に対する宗教弾圧、「曼陀羅国神不敬事件」〈マンダラコクシンフケイジケン〉を挙げておこう(一九四一年四月一一日)。すなわち、国家権力にとってみれば、「新興諸宗教」であれ、「既成宗教」であれ、国策の遂行の邪魔になるものは、「邪教」なのである。このことを理解しない「反宗教運動」は、結局のところ、国策と伴走し、それを支える運動になってしまう危険性がある。
 第三に、戦中期の日本は、国家そのものが、疑似宗教国家となってしまった。御真影礼拝、皇居遥拝、神社参拝等が強制され、各戸に伊勢皇大神宮の大麻〈タイマ〉が配られた。つまり、国家そのものが、特定の「宗教」の信仰を国民に強いるという事態が起きた。あらゆる宗教を「邪宗」として弾圧した国家は、みずからが「邪宗」を掲げた疑似宗教国家に転化することがある。高津正道は、一九三六年(昭和一一)に、「反宗教運動者」を自称し、「邪宗」を批判する本を刊行した。このとき高津は、日本国家そのものが、疑似宗教国家となることまでは、予想できなかったに違いない。 

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