◎同じ死ぬなら金のかからぬ治療方法で
昨日の続きである。哲学者の戸坂潤が執筆し、一九三六年(昭和一一)の一〇月一日から三日までの三日間、『報知新聞』に掲載した「ひとのみち事件批判」という文章を紹介している。
本日は、その二回目で、一〇日二日掲載分を紹介する。
宗教における思想と風俗…【2】…
たとえば、類似宗教に数へてしかるべき『生長の家』の谷口〔雅春〕氏は、一種の文学的才能をもつてゐる。講演したものを読んでみると、キリスト教のソフイズムを感じるのである。倉田百三〈ヒャクゾウ〉氏の『出家とその弟子』などゝ、ジヤンルは別だが文化的本質を同じくしてゐるだらう。既成大宗教もその阿片的魅力の大部分は実はかういふ文学的な魅力であることを、注意しなければいけないと思ふが、処が『ひとのみち』になると(天理教や大本教でもさうだが)さういふ文学的魅力はまるでない。
通り一遍の文化人は、この非文学的な宗教を見て、一遍に軽蔑してしまふ。そしてこれこそインチキ宗教のインチキたる証拠だと考へる。そこへ持つて来て、猥雑な観念とデリカシーを欠いた趣味の悪い実践とだ。いよいよインチキだといふことになる。――だがかうした点はインチキ宗教のインチキたる症状ではあつても、そのインチキ性自身ではない。発熱は病気の症状だが、病気の本質ではない。熱が出ずに次第に命を落とす病気も多い。文化人の趣味や嗜好にとつてインチキに見えないやうなインチキが沢山あることを忘れてはなるまい。だから『ひとのみち』だけがインチキ宗教なのではなくて、たまたまそれが露骨なために、宗教なるものゝインチキ性を思い切つて露出したまでだといふのである。
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しかし社会の既成観念の秩序が乱れて来ると教養あり教育ある人間も、その趣味や嗜好ではもうやつて行けなくなる。その趣味や嗜好の洗練が物の役に立たぬとなれば、文化人も平俗人も結局同じものになる。でそこに、一種風俗感を催情するものとして立ち現れた『ひとのみち』やこれを典型とする一連の類似宗教は、識者と無識者とを問はず、斉しく風俗的魅力を有つて来る理由があるのである。この風俗的魅力とは思想における最も抽象的な共通物のことであつて、丁度猥談が最も抽象的で共通な理論であるやうなものだ。軍人や学者や政治家や実業家といふ偉い人達が、類似宗教に投じる所以であつて、その際インテリの既成宗教についての教養などは、問題にならぬのである。――小僧をもつとよく働かせる手段として『ひとのみち』の類〈タグイ〉を信仰するのだ、といふ風にばかりは私は考えない。もっと『親切な』〔深切な〕見方が必要のやうだ。
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さて新興類似宗教のこの特殊な風俗的魅力は何だらうか。つまり何だつて見識のありさうな人までがかういう無知なグロテスクなものに熱中しなければならぬか、といふことである。内務省と文部省との意見が一致した処によると、そこには大体四のものがあるさうである。第一、既成宗教が無気力であること。第二、大衆の生活不安と思想混迷。第三、医療制度の不徹底。第四、宗教復興。精神作興の声の利用。といふのである。
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当らずとも遠からずの説明であるが、しかしこれをどういふ風に理解するかで、見解は全く別なものにもなるのである。既成宗教が無気力であるために類似宗教が勃興して来たといふのは本当だが、それでは既成宗教を盛大にすれば類似宗教はそれだけ下火になるのだらうか。宗教は団体取締法によつて宗教を国家的に統制したりまた権威づけたり、学校に宗教情操教育を持ち込んだりすれば、類似宗教は多少とも参るだらうか。いや一体さういふやり方でいはゆる既成宗教の気力とかが生じているだらうか。宗教の気力は一つの場合には政治的な反抗意識として、また他の場合には地上の権力的支配意識として、燃え立つた歴史を持つているが、今日の日本の既成宗教にさういふ気力は絶対に期待出来ない。
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大衆の生活不安なるものの内には医療制度の社会的不備を含ませねばならぬ。非科学的治療を信頼することが迷信であるといふやうな観念は、単に医学博士的なまたは自然科学の教授然たる迷信の観念にすぎぬ。類似宗教のインチキ治療が、医者の治療よりも安さうだと思へばこそ、同じ死ぬなら金のかゝらぬ治療方法で以て死なうといふ次第なのだ。だから迷信を極めて合理的に運用している場合もあるのだといふことは、注目に値する。これが迷信的治療の極めて理性的な本質なのだ。迷信にさへ理性的本質を与へるといふことが、今日のいはわゆる生活不安の悲しむべき作用なのである。
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