礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

文検合格後の言い知れぬ寂しき心境

2016-02-02 04:51:35 | コラムと名言

◎文検合格後の言い知れぬ寂しき心境

 昨日の続きである。『一ケ年必勝 文検修身科の指導』(日本教育学会、一九三一)という本を紹介している。昨日は、第一篇「序論」の第二章「研究法の大要」から、第二節「受験の生活」の全文を紹介した。本日は、これに続く第三節「生活の統一」の全文を紹介したてみよう(二九~三三ページ)。

 第三 生活の統一
 日常生活を受験を中心として統一して行く事は文検合格上第二の要訣である。凡て〈スベテ〉人格的生活の特質は統一的生活にある。統一なき生活は厳密なる意味で人格的生活とはいへない。受験生活も此の如き統一的でなければ成功思束ない〈オボツカナイ〉。筆者の知人にして文検修身科に志しながらも或は文学書、或は哲学書、或は教育学書と不統一に乱読する者があつた。これでは相当の秀才であつても一年位で合格する事は思束ない。短時日にして文検に合格せんとする者は須く〈スベカラク〉生活の統一読書の統一を図るべきである。職員室の雑談をいゝ加減に切り上けるのも其の一つであらう。其日になすべき事務を決して明日に延ばさないのも其の一つであらう。又時間的に計画的に仕事を進めて行く事も其の一つであらう。著者は学校の事務を決して下宿へ持ち帰らず――との主義を以てやつて来た。其の代り他人が帰るまいが、電灯がつかうが月が出ようがおかまいなしである。やるだけの仕事――明日の準備が出来てしまはなければどんなにおそくならうとも帰らぬ――と言ふ態度である。然し若し仕事が出来てしまつて雑談といふ日課に這入つたならばさつさと引き上げるといふ態度である。所謂偉い先生になればなる程雑談の時間が長い。其の結果は教科書や○○参考書○○教科書と言つた書籍の下宿屋撒入〔ママ〕が夥しい。これでは殊勝らしくして決して見上げた態度ではない。こうした無駄な時間を生かし統一して行く事が生活統一の一方面である。
 次に生活統一の第二方面としては、新聞雑誌、新刊書籍、図書目録、公告類に対する態度である。受験者は是等に関する深甚の注意を怠つてはならない。是等のものは一見何等の用をなさないかの様に見える。然し時として実に重大なる意味を持つことがある。といふのは試験問題の提出者は或特定の委員であると言ふ事を考へたならば誰もが肯けるであらう。即ち各委員の新聞雑誌等に発表せらるゝ論文は相当現在に於て委員の頭を支配してゐる問題であつて、これが出題と直接間接の関係を持ち得る事も決して想像のみに止まらないからである。雑誌に就て後に述べる機会もあるかと思ふから、それに就て茲には仕入ホヤホヤの生きたる実例を引いて置く事にしよう。これは本年五十三回(昭和五年度)の試験に応じた受験者の一人から直接聞いた耳新しい話。
 私は予備試験の時には実に幸運でした。それは私が試験の前夜新聞広告(学事新報)で見た問題が出たのです。予備試験出発の為め職員室を出る時何気なくテーブルを見たのですが其の中に学事新報といふ広告様の物があつて小学館発行の雑誌小学○年生の広告が一ぱいにしてあります。私は余り乱雑なので、屑籠に捨てようかと思つて取り上げましたがふと「肇国宏遠」と「樹徳深厚」といふ題目で深作博士の論文が出てゐるらしく大きな活字で広告してあり、深作〔安文〕博士は修身科の委員だ。私は「ハツ」と思ひました。そして捨てるのをやめて詳細に見て見ました。すると其の広告中に論文の一部が抄録してあるので其の侭のカバンに入れてさつさと帰りました。それから受験の為に出発したのですが試験の前日其の広告を取出して一読しておいたのです。所がどうです。其の翌日は「君位継承の原理を問ふ」といふ問題が出てゐるのではありませんか。私はそれにヒントを得てさつさと六問共書いてしまつたのです。実に一枚の広告でも蔑に出来ませんね。』
 本年度予備の「皇位継承の原理を問ふ」といふのが深作博士の出題である事は誰もが想像出来るであらうが、案の如く小学館発行の十月号雑誌には深作博士の筆で完全に其の問題の解決が与へられてゐる。筆者の想像する所によれば予備試験は九月三十日であり、十月号雑誌の発刊は十月に入つて後であるから……との博士の周到なる注意の下に書かれたものであらうが、如才なき本屋はこれを不注意にも暴露したのであらう。有難き罪ではある。然し筆者はこれに蹴て思ひ出す事がある。それは昨昭和四年〔一九二九〕の夏、阿蘇に於て開催せらた夏期大学に於ける深作博士の講義中にも君位継承の原理は明快に説かれてゐた様である。筆者と同様九州日々新聞(熊本発行の地方新聞)の速記を見るだけの注意を払つてゐる人であつたら、本年のあの問題を皇室典範の解釈だ等と誤解する様なことはなかつたであらう。これはほんの一例に過ぎぬ。一片の広告紙片にも生活統一の必要ある所以である。尚高文〔いわゆる「高等文官試験」〕の倫理学の問題にも注意を要する。これは吉田〔静致〕博士は文検委員であると同時に高文の委員であるからだ。高文に出す問題がそのまゝ文検に出ることも珍しくない。受験者はどこまでも周到なる注意を怠つてはならない。生活統一の第三部面は本職たる学校生活其のものの統一である。筆者の経騒を以てすれば、農業公民学校及小学校に於ける修身科を担任し、真に研究的態度を以て、教案作製及実地教授に当つてゐる人であつたら、何等其の方面の準備を要せずして本試に於ける六問中の一問――教案作製――は完全に卒業である。文検に於て一問を保証付で完全に卒業する事は決して些細の事ではない。それは単に数学的に六分の一の価値を持つてゐるものではなく、それ以上の価値を持つてゐる事はさつき掲げた経験者の談話に依ても知り得らるゝであらう。兎に角〈トニカク〉此の一事を以て生活統一が決して本業たる児童教育と矛盾するものでない事を知つて貰ひ度い。
 此の他にも受験的に統一すべき部面は幾らもあるであらう。かうした生活の統一が他の方面に対して受験者を遮断するものであつて、受験者をして合格後言ひ知れぬ寂しき心境に陥れるものでもあるが、文検は単なる山葵漬けの辛さだ、一年乃至二年の間を忍ばれ度い。合格出来たら必ずや新しい心境と進路とを開拓してくれるであらうから。

 文中「撒入」という言葉が出てくる。「搬入」の誤植ではないかと思ったが、そのままにしておいた。

*このブログの人気記事 2016・2・2(5位にやや珍しいものが入っておます)

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