◎樹を伐りたるは児なり(ジョージ・ワシントン)
昨日の続きである。木戸麟編『小学修身書 四』(金港堂、一九八一)から、ジョージ・ワシントンの少年時代の逸話を紹介している。昨日、紹介した逸話のあとに、有名な「桜の木」の逸話が続く。
○其の頃乃事奈りけん「ワシント
ン」の父一株の花樹を得て、之を庭
尓うゑ、阿さゆふ其の心を奈ぐさ
めたり「ワシントン」盤かくとも志 【七オモテ】
ら須、一日他の童子と、軍のありさ
まを奈して阿そび希るとき、一つ
の斧を持ち来りて、かの花樹を、越
し希もなく、縦横尓打ちきりたれ
者、庭のおもに盤、花ちり、葉おちて
あた可も、あらし能、花園を、ふきみ
だしたる可ごとく奈里尓けり、父 【七ウラ】
盤其の有里さまを見て、大尓怒り、
を呼びて、之を叱したれど毛、
皆志ら須と、古たへ多り、其の時「ワ
シントン」於もへらく我連、父の愛
樹と志ら須して、之を伐連里とい
へども、其の罪をまぬ可連がたし、今
黙してい者ざれハ、父を欺くの罪 【八オモテ】
を、きたさんと、いそぎ、父のまへに、
いたり、あつく礼を奈して、樹を伐
里たる盤児奈り、ね可者くハ、大人、
児可不孝をつみして、を、と可
むる事奈可れと、いひ希れバ、父は
よ路こびて世の中能人、いづ連も
其の非をかくし、過をかざる者奈 【八ウラ】
る尓、今汝盤其の過ちを、阿らはし
て、の冤をとかんと春、其の心
の正直なる、真尓、吾可子と称春べ
し、今の言葉のうるはしきに盤、花
も志可ざるな里といひしとぞ 【八オモテ】
この文章で使われている「変体仮名」は、昨日、挙げたもの以外に、次のようなものがある。
乃 の
阿 あ
須 ず
越 を
者 ば
能 の
毛 も
古 こ
多 た
連 れ
路 ろ
次に「変体仮名」を、一般的な仮名に直して、書き直したものを示す。
○其の頃の事なりけん「ワシントン」の父一株の花樹を得て、之を庭にうゑ、あさゆふ其の心をなぐさめたり「ワシントン」はかくともしらず、一日他の童子と、軍〈イクサ〉のありさまをなしてあそびけるとき、一つの斧を持ち来りて、かの花樹を、をしげもなく、縦横に打ちきりたれば、庭のおも〔面〕には、花ちり、葉おちてあたかも、あらしの、花園を、ふきみだしたるがごとくなりにけり、父は其の有りさまを見て、大〈オオイ〉に怒り、を呼びて、之を叱したれども、皆しらずと、こたへたり、其の時「ワシントン」おもへらく我れ、父の愛樹としらずして、之を伐れりといへども、其の罪をまぬかれがたし、今黙していはざれは〔ば〕、父を欺くの罪を、きたさんと、いそぎ、父のまへに、いたり、あつく礼をなして、樹を伐りたるは児なり、ねがはくは、大人、児が不孝をつみして、を、とがむる事かれと、いひければ、父はよろこびて世の中の人、いづれも其の非をかくし、過〈アヤマチ〉をかざる〔飾る〕者なるに、今汝は其の過ちを、あらはして、の冤〈エン〉をとかんとす、其の心の正直なる、真に、吾が子と称すべし、今の言葉のうるはしきには、花もしかざるなりといひしとぞ
「樹を伐りたるは児なり」の「児」は、子の親に対する自称で、読みは、たぶん〈ジ〉。文脈から、これを〈ワレ〉と読ませていたかもしれない。
さて、一般的には、ワシントンの父が大事にしていたのは、桜の樹ということになっているが、ここでは、ただ「花樹」とのみ記されている。また、ワシントン少年は、友人と戦争ごっこをしていて、その際に、花樹を伐ってしまったとある。さらに、ワシントン少年が自分の罪を認めたのは、「」(黒人奴隷か)に罪が及ぶことを避けたかったからという説明になっている。
一三〇年以上も前の教科書だが、今日なお、いろいろと学ぶことがある。