礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

護衛憲兵は、なぜ教育総監を避難させなかったのか

2016-02-14 03:43:18 | コラムと名言

◎護衛憲兵は、なぜ教育総監を避難させなかったのか

 ここ数日、渡辺錠太郎教育総監襲撃事件(一九三五年二月二六日)を採り上げている。本年も二月二六日が近づいているので、タイミングとしても悪くない。
 さて、一昨日、国立国会図書館に赴き、大谷敬二郎『昭和憲兵史』(みすず書房、一九六六)、『二・二六事件と郷土兵』(埼玉県、一九八一)、『歴史と旅』特別増刊号「帝国陸軍将軍総覧」(一九九〇年九月)などを閲覧してきた。
 このうち、『歴史と旅』特別増刊号「帝国陸軍将軍総覧」の「大将渡辺錠太郎」の項目(執筆・円谷真護)を読むと、「青年将校の襲撃」、および「皇道派の反発」という節があり、「青年将校の襲撃」の節には、次のようにあった。

青年将校の襲撃
 昭和十一年(一九三六)二月二十六日早朝、荻窪の教育総監・渡辺錠太郎大将の邸では、すず子夫人が早くも床を離れていた。するとけたたましく電話のベルが鳴った。牛込憲兵分隊からで、「すぐ佐川伍長を呼んで下さい」という。
 夫人は廊下を走って、玄関二階に泊まっている憲兵を起こした。佐川伍長が電話をとると、「払暁〈フツギョウ〉、青年将校らが部隊をひきいて首相官邸などを襲撃した。あるいはそこも襲うかもしれない。すぐ応援の憲兵をおくる。しっかりやれ」という緊急な内容だった。
 佐川伍長は、「いよいよ来たか」と思い、落ち着いて時計を見ると六時一〇分前だった。急いで部屋にもどり、部下の上等兵をたたき起こして軍服に着替えていると、表門の前に自動車の停まる音が聞こえ、つづいて、軍靴が乱れて雪の上をこちらへ走ってくる。
 伍長は拳銃に装填し、玄関へ走って固めた。玄関がはげしく叩かれたかと思うと、機関銃を打ち込んで来た。伍長たちも拳銃で応戦した。
 襲撃したのは、高橋太郎少尉と安田優【まさる】少尉が指揮する下士官と兵三〇人の一隊である。
 斎藤実【まこと】内大臣を襲った後、トラック一台に乗ってきたもので、軽機関銃四挺をもっていた。玄関から応射してきたので、一部を残して裏手にまわり、屋内になだれ込んだ。
 すず子夫人が、「乱暴な」と立ちふさがったが、殺気だった兵たちは夫人をつきとばして乱入した。
 このとき渡辺大将は、拳銃を手に階下一〇畳の寝室から廊下へ出て立ち向かっていった。しかし、乱射されて室内へもどった。そこへ、拳銃と軽機が火を噴いた。一瞬にして、大将は倒れた。玄関にいた憲兵は、一人は無傷であったが、急場の間に合わなかった。
 襲撃隊は六時半頃、渡辺邸をひきあげた。途中、応援の憲兵隊と遭遇し、車上から銃撃を交えながら、たちまち去って行った。大将の遺体には一〇数カ所の切り傷があった。青年将校は、大将を憎悪していたと判断される。一体、なぜか。

 この文章は、あとで確認するように、大谷敬二郎『昭和憲兵史』を参照している。しかし、同書に書かれていないことが、少なくとも二か所、書き加えられている。ひとつは、佐川伍長が急電を受けたあと、「落ち着いて時計を見ると六時一〇分前だった」というところ、もうひとつは、「襲撃隊は六時半頃、渡辺邸をひきあげた」というところである。ここは、ぜひ、典拠を示していただきたかったところである。
 ともかく、上記部分を読んだ読者は、おそらく、次のような印象を受けることであろう。急電を受けた佐川伍長が、急いで部屋に戻って、軍服に着替えていると、早くも襲撃隊がやってきた。佐川伍長と部下の上等兵は、ただちに、これに応戦したが、襲撃隊は裏口から邸内に侵入し、渡辺錠太郎大将を惨殺。目的を達した部隊は、すぐに引き揚げていった。――
 この文章を書いたのは、円谷真護〈ツブラヤ・シンゴ〉さんという文芸評論家である。この方が、二・二六事件について、どういう見解をお持ちなのか存じあげないが、引用した記述は、結果的に、ふたりの護衛憲兵がとった行動を、是認するものとなっている。
 すなわち、佐川憲兵伍長は、急電を受けたあと、その内容をすぐに渡辺大将に伝え、大将を邸外に避難させるべきであった。その時間的余裕は、十分にあったと思う(後述)。万一、その時間的余裕がなかったとしても、渡辺大将が惨殺される場面で、何らかの阻止行動をとれなかったものか。
 円谷氏の文章には、そうした批判的視点が、完全に欠落している。そして、この点は、昨日、紹介した『図説 2・26事件』(河出書房新社、二〇〇三)についても、ほぼ同じことが言えるように思う。【この話、しばらく続く】

【付記】 上記で、「この文章は、あとで確認するように、大谷敬二郎『昭和憲兵史』を参照している」と書きましたが、その後、『昭和憲兵史』(みすず書房、一九六六)は参照せず、同じ著者の『二・二六事件』(図書出版社、一九七三)を参照しているのではないかと考え直しました。というのは、本日午後になって、後者を手にとり、そこに、「落ち着いて腕の時計を見ると六時一〇分前だった」、「こうして襲撃隊はその目的を達し六時半頃引きあげた」という記述があることに気づいたからです。ちなみに、大谷敬二郎『昭和憲兵史』には、護衛憲兵がとった行動に対する「批判的視点」が見られますが、同じ著者による『二・二六事件』には、なぜか、そうした批判的視点が見られません。2016・2・14午後4:30記

*このブログの人気記事 2016・2・14(7位に珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする