礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

本日午前零時、ソ満国境よりソ連軍が南下

2016-08-08 03:47:37 | コラムと名言

◎本日午前零時、ソ満国境よりソ連軍が南下

 昨日の続きである。黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)から、八月八日および八月九日の日誌を紹介する(二五七~二六一ページ)。なお、ソ連軍の侵攻の記事は、八月九日のところにあるべきだが、原文のままにしてある。

 八月八日 (水) 晴
 午前零時、上番する。下番者田原候補生の報告では、
「昨夜午後十時、ニューディリー放送によれば、昨日(八月七日)、米空軍B29百二十機は豊川を空襲し爆撃したと、放送がありました」と。
 今日も隊長、上山中尉ともまだおられる。この前、隊長は第五航空軍には一機も飛行機はなくなったといわれたが、内地の第一航空軍には邀撃機〈ヨウゲキキ〉はあるのだろうか、ないのだろうか心配になる。豊川といえぼ海軍工廠だが、B29百二十機も来られたんでは、豊川の街全部、蟻の逃げ道もないだろう。ここでも一般弱者への被害が気になる。
 隊長は昨日も午前十一時ごろ、連隊長のもとに行かれたそうである。今日も原爆中止の請願に行くといっておられる。もっとも今日は情報収集の情報室として、一応この戦いの幕引きをすべきだと意見具申をしたいと言われた。
 すなわち、①制空権われになし。②制海権もなし。とくに内地近海の機雷接触による船舶喪失六百万トンにおよぶ。③石油貯蔵量一月末、四十九万バレル(昭和十六年の千四百六十五万バレルのわずか三パーセント)で、七月末現在ほとんどなし。④原子爆弾の被害は相当と思われる。広島についで長崎だ。これ以上は絶対に落とさしてはならぬ。⑤以上を考察すると、国体護持を条件に、一応この戦いの幕引きをしなければならぬ、ということを上申したいと言われた。
「そして、一段落ついてから世の中平和になったら、日本中にヒトラー型式ではないが、高速道路を作り、いったん緩急あれぽ、真ん中の仕切りを取れば飛行場ができる。それと自動車産業を盛んにし、いつでもこれが飛行機産業に切り替えられるように。それと造船産業も盛んにして欲しい。平和的な面で飛行機産業が進められれば、ぜひ世界に遅れないように」と隊長は上山中尉や自分に言われている。
 議論が空想論になり、午前二時にもなるので、「どうぞお休みになって下さい」と隊長と上山中尉のお引き取りを願う。上山中尉は先ほどの打ち合わせ記録を清書しておられたが、やっと終わり、隊長についで上山中尉も退出された。
 それからほんのしばらくして突然、ベルがなり出した。大船山〔南支軍団司令部情報室〕からの電話だ。
「こちら南支軍団司令部情報室山下中尉です。ソ連の情報、入ってますか」と。
「いえ入っていません。自分は五航情報室黒木であります。差し支え次ければ、教えていただけませんか」と聞く。
「ただ今、北支軍司令部情報室よりの電話によると、これは関東軍からの電話ですが、本日午前零時を期して、ソ満国境より大量のソ連軍が騎馬部隊、戦車部隊、装甲部隊を前面にしてぞくぞくと南下致し、関東軍と各地において交戦状態に入っており、突然の攻撃と火焔〈カエン〉放射器を使っての進攻で、防戦大わらわの状態だそうです」
「有難うございました。さっそく隊長殿に報告致します。それで宣戦布告はあったのですか。国交断絶の通知はどうでしょう?」と聞くと、
「ただ今のところ、そういうことは一切ありません」と答えられた。
 富士山から新高山との順番にかけていたら、白根山に隊長がおられて、南支軍団司令部情報室山下中尉よりのソ連参戦を報告する〔富士山、新高山等は、内部の将校関係施設〕。まだ起きておられた。
 この間まで日本の幕引きは、ソ連に頼むしかないと頼りにしていた。そのソ連が、しかも日ソ不可侵条約を結んだ間柄ではないか。もっともドイツが負けたころか、一方的にソ連が廃棄したということを聞いたかとも思うのだが、それにしても今、日本が土俵の俵まで米英に押されていて土俵の俵で弓なりになり、もう死に体だという日本に、なんで米英に加わって押して来るんだ。
 火事場の泥棒で、満州から大連の港が欲しいのか。まさか朝鮮には手を出さないだろうな。樺太南部も進攻して来るだろう。千島列島は日本固有の土地と漁業権のあるところ、絶対に渡してはならぬ。ソ連という国のキタナイキタナイやり方はどうだ。
 それにしても昨日の朝、明日の八月九日に長崎に原子爆弾を投下するという情報で、左顔面にビンタを食らったようだと書いたが、今度は右顔面を張られたかと思う間もなく、左右入りまじって殴られるようだ。
 人の足元を見るソ連の相手が弱いと思ったら、殴りかかるやり方に腹が立って腹が立ってやり切れぬ。自分は共産党がどんなものか知らぬが、人の弱みにつけ込んで弱い者いじめするのが共産党か、こんな共産党が主導するソ連は、だれが何といおうと大嫌いだ。子や孫の代まで、いや後々の代まで、今日のこの日に参戦したソ連という国のことを、絶対に忘れないでくれよ。午前八時、下番する。【中略】
 午後四時、田中が下番してきたので目がさめる。田中の報告では、
「十二時のNHKニュースでは、『新型爆弾の防御法を内務省は次のごとく国民に指示しております。かならず壕内に退避して下さい。火傷のおそれがありますので、壕外に出るときは露出部を少なく、暑くても全身をおおうようにしてください』というものであった。原爆投下二日後の放送であって、二日前にこの放送があったら、被害は少なかったろうにと思いました。
 その上、明日の長崎の原爆投下に果たして長崎の人は、このNHKの内務省の通達を、自分のこととして聞いているのだろうか疑問に思いました。午後一時のニューディリー放送は、長崎は三十年間、草木も生えぬ被害を受けるであろうと、広島投下前日と同様に放送していました。以上であります」
 自分も田中の意見と同じく、長崎の人は今から自分たちに広島と同じ惨事が起こるとは思わず、広島は大変だったろうとしか考えてないだろう。夕食と洗濯を田中と一緒にする。
 午後七時半からまた眠る。午後十一時に起床して浴場に行ったら、まったく水であった。水浴した関係からか何かしら肌寒さを感じた。

 八月九日 (木) 晴
 午前零時、勤務に上番する。今日は長崎原爆投下予定の日である。広島が午前八時十五分に投下されたが、同様な計算をもとに考えて見れば、ほとんど同じ時間帯の午前八時から正午までの三時間の間であろう。
 ちょっと寒気がすると思っていたが、時間と共にだんだん寒くなって、震えが止まらない。情報室内の扇風機をどれも止める。おそらくマラリアだ。先月うまく魔除けができたのに、今月はすっかり忘れていた。先月は注意に注意を重ね、睡眠は充分に取り、キニーネも倍くらい飲んでこないようにし、衣袴は余分のものまで持ち込んで万全を期していた。
 それに対し数日前から広島原爆・ソ連参戦と、さらに今日の長崎原爆投下と、眠るべき時間帯に眠られなかったことと、今日の予定日を忘れていたことが原因だろう。【中略】
 午前八時、下番する。田中に病状を話そうと思っていたが、とても話をする元気もなく内務班に帰る。内務班に帰るのがやっとで、田原に体温計を借りてきてもらう。熱がある。四十二度もある。すぐキニーネ五錠を呑む。毛布にくるまって休む。三人分三枚の毛布を使うがなお寒い。今日と明日一日休めば、よくなるだろう。いやそれ以上は休めない。今日と明日でよくなって見せる。【下略】

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