◎日本国の政体は国民の意思によって決定
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『永田町一番地』から、八月一一日~八月一三日の日誌を紹介する(二三四~二三六ページ)。
八月十一日
サンフランシスコ放送は米国国務長官バーンズ氏が米英ソ華四国に代つて、日本への回答を発すると伝へる。
八月十二日
午前零時四十五分、外務省ラジオ室は連合国回答文の第一電を入手した。
東郷外相は、この朝直ちに参内、陛下に拝謁、
一、降伏の時より天皇および日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施のためその必要と認むる措置を執る連合軍最高司令官の権限の下に置かるるものとす
一、最終的の日本国の政府の形態はポツダム宣言に遵ひ〈シタガイ〉日本国々民の自由に表明せる意思により決定せらるべきものとす
等に関し、連合国回答について詳細に報告申し上げた。
【一行アキ】
午後三時から臨時閣議が開かれた。連合国回答をそのまま受諾すべきや否やにつき激論が重ねられ、つひに意見の一致を見ずに終る。
【一行アキ】
夜八時半、梅津参謀総長、豊田軍令部総長、東郷外相らが首相官邸で相会した。その席上に、扉を排して突然、海軍の大西瀧次郎中将が訪れ、今、一番の問題は要するに軍が陛下の御信任を失つたことである。必ず戦局を挽回し得るの作戦をも一度練り直して、陛下に奏上する必要があると真剣な態度で、両幕僚長を説いた。その作戦の構想は大西中将によれば、二千万国民を犠牲にすれば可能であるといふのである。
八月十三日
午前八時五十分、鈴木首相は東郷外相、米内海相、阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長の参集を求めて、連合国回答の公電を中心に協議に入つた。梅津参謀総長、豊田軍令部総長は強硬に受諾反対を唱へ、午前九時半、参内、上奏した。そのため会議は十時半まで中断し、両幕僚長の宮中よりの退出を待つて再開された。会議は午後三時に及んだ。
ついで、午後四時から七時まで臨時閣議が開かれたが、何れも結論を得るに至らない。