◎明日、白雲飛行場滑走路を爆破せよ
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『原爆投下は予告されていた』から、八月一四日の日誌を紹介し(二六九~二七〇ページ)、続いて、『永田町一番地』から、八月一四日と八月一五日の日誌を紹介する(二三六~二三九ページ)。なお、『永田町一番地』は、八月一五日の日誌を以て、終わっている。
『原爆投下は予告されていた』
八月十四日 (火) 晴
午前八時、上番する。今日も暑い。暑いなかどこからもベルなし。情報も流れず。隊長も上山中尉も来られない。静かである。午前中の勤務というより、真夜中の午前零時からの勤務のようである。
午後一時ごろよりNHKは、「明日正午より、天皇陛下の玉音放送が行なわれます。国民の皆様、ぜひラジオをお聞きください」という放送が何度も何度も繰り返し放送された。
午後三時、隊長が部屋に入って来られた。苦渋に満ちた顔には、隊長独自のいつもの笑みは見えない。
「おい黒木、ちょっとこい」
私は立ち上がり、隊長の前で不動の姿勢をとった。
「明日、白雲飛行場滑走路を爆破して欲しい。正午の陛下の玉音放送の影響を考えたときに、一番最初に浮かんだのは敵側の接収である。陸上での接収は早くても十日以上はかかるだろう。しかし、空からの接収は数時間後には可能となる。もし重慶軍が滑走路につぎつぎと飛来降下した場合、無駄な命を落としてもらいたくない。一週間から十日もたてば陛下の放送の真意が、全軍に到達されるであろう。最低一週間は来てもらいたくない。滑走路に三ヵ所の穴を開ければ充分だ。来ても降りれないとすれば帰るだろう。もちろん南支には友軍機は一機もない。おれの専用車を使え。運転手はつける。ダイナマイトは用意する。貴様が長となり、部下一名と共にやってくれ。明朝午前六時、再度命令す。今夜は充分に休んでくれ。部下一名は即時選考指名してくれ」と言われた。
自分は、「部下一名の指名でありますが、電気の中西上等兵を指名したくお願い申します」と言上した。四ヵ月もいると、隣りの部屋の彼の俊敏さが群を抜いていたのがよくわかった。隊長はまたいわれた。
「貴様以外にこの仕事を頼めるのは、全軍の中でほかにだれもいない。強いて言えば、上山中尉ただ一人だけだ。上山と貴様と貴様の部下二名以外は、終戦に関する経過はまったく誰も知らぬ」
自分は隊長に、「はい。よくわかりました」といって礼をして席に着いた。隊長は話だけされた後は部屋を出られた。
午後四時、下番する。下番の際、田中候補生に、
「明日の二勤の勤務はおれは出来ない。したがって貴様は午前八時から勤務してくれ。その後については追って指示する」
内務班に帰ってみると、新しい夏衣袴と襦絆、袴下に褌まで一式おいてあった。明日のための品々である。夕食前に通信班保管の三八式騎兵銃が一挺と実弾二十発入りの薬盒【やくごう】が届けられた。
『永田町一番地』
八月十四日
早朝八時半、鈴木首相は参内して、陛下に討議の経過を報告申上げた。後、同九時四十分、首相は再び参内した。
【一行アキ】
陛下から御前会議のお召しが下つた。丁度閣議の最中で、全閣僚は、そのままの衣服で取り急ぎ参内した。午前十時四十五分、この御前会議が開会となつた。全閣僚、両幕僚長、平沼枢府議長ら一同が御前に相会した。鈴木首相は、条件付の連合国回答が届いたが、これに対し、外相は受諾すべしとの意見であり、これに賛成する者が大多数である。然し反対の意見もある、と報告申上げ、これから、回答受諾に反対の意見のみを述べて貰ひたいと発言した。ところが、これに対し、阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長より夫々〈ソレゾレ〉、先方の回答に甚だ不安で、我が方の最後の一線たる国体護持も困難な如く思はれる。もし改めて連合国に問合せをなすことを得るならばこれを確めたい、もしそのことが不可能ならば、むしろ死中活を求め一戦するに如かず、との旨を申上げた。三名の意見開陳後、陛下は
他に意見がないならば自分が言ふ。ポツダム宣言の受諾は軽々に〈ケイケイニ〉なせるにあらず、自分の意見は去る九日の御前会議に示したところと何ら変らない、先方の回答を受諾するも差支へなしとの外相の説に賛成する、今にして戦争を終結しなければ国家の維持は出来ぬし、日本民族も破滅する、堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍んでここに終戦の決心をした、一般の国民は突然の決定に動揺も甚だしいであらう、海軍将兵はさらに動揺も大きいであらうが、自分が出来ることならば何でもする………旨(註)仰せられた。
【一行アキ】
最後の御聖断が下つたのである。歴史的なこの御前会議はかくて正午散会した。
【一行アキ】
ついで閣議が開催され、終戦に関する詔書案が審議した。この終戦の大詔はこの夜、勅裁を得た。
【一行アキ】
深夜、阿南陸相が自刃した。伝へられる陸軍内部の不穏の計画について阿南陸相もこれを知つてゐたとのことである。軍の政治干与はいけない、いはゆる憲兵政治は以ての外である、とする阿南陸相は、武人としての尊敬を集めてゐた。その置かれた困難な立場は察するに余りがある。
(註)
………先方の回答もあれで満足してよいと思ふと仰せられ、その理由に関し概ね九日の御前会議に於て述べられたると同一の主旨を御述べ遊ばされた。陛下は暫く言棄を切られ、純白の御手袋をはめられた御手にて御眼鏡を御拭ひ遊ばされてをられたが、かくの如くにして戦争を終るについて、皇軍将兵、戦死者、戦傷者、罹災者、遺家族らに対する厚き御心遣ひの御言葉を御述べあそばされ、しばしば両方の御頬を御手をもつて拭はせられた。しかし乍ら〈ナガラ〉茲に〈ココニ〉至つては国家を維持するの道はただこれしかないと考へるから、堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍んで、茲に〈ココニ〉その決心をしたのである、といふことを仰せられた。列席者一同は陛下の御言葉の始まると間もなくよりただ慟哭するのみであつた。……… (「朝日新聞」連載。「降伏時の真相」迫水久常氏手記)
八月十五日
午前三時(十四日午後七時ベルン時間)トルーマン米大統領は日本側回答を受諾した旨声明した。
【一行アキ】
正午、前国民は陛下の玉音放送によつて戦争の終結を知つた。
【一行アキ】
陛下の声は厳粛な中にも心なしか傷々しく〈イタイタシク〉聴かれた。終戦への経緯を知らなかつたわけではない、が、陛下の一言一句に思はず眼頭が熱くなつた。戦争終結をよろこぶ涙ではない。敗戦の事実を悲しむ涙でもない。余りにも大きな日本の転換に遭遇した感動が涙を誘つた。
【一行アキ】
午後三時二十分、鈴木首相は、再度聖断を煩はしたことを深く恐懼〈キョウク〉し、闕下〈ケッカ〉に全閣僚の辞表を提出した。鈴木内閣はここに終戦といふ歴史的使命を果たして総辞職した。 (終り)