◎緑十字機、鮫島海岸に不時着(1945・8・20)
今月一四日、テレビ朝日で、「緑十字機 決死の飛行」という番組を観た。非常に興味深い番組だった。
「緑十字機」というのは、降伏直後、フィリピンのマニラに赴く降伏軍使を運ぶために用意された二機の飛行機をいう。白い機体に緑色の十字を描いていたので、緑十字機と呼ぶ。
一九四五年(昭和二〇)八月一九日、降伏軍使を乗せて木更津空港を出発し、沖縄の伊江島へ。降伏軍使一行は、ここで米軍機に乗り換える。そのまま、緑十字機でマニラに向かうのかと思ったが、そうではなかった。
翌二〇日、進駐の日程などについて、協議を終えた降伏軍使は、その日のうちに伊江島に戻り、再び、緑十字機に乗って木更津に帰ろうとする。しかし、二機のうち二番機の主輪が破損、やむなく、一番機のみで出発。ところが、その一番機も、「燃料切れ」という考えられないアクシデントにより、同日深夜、静岡県の鮫島海岸に不時着することになった。――
おおむね、こういう話が、資料や証言をまじえ、あるいは解説をはさみながら、要領よく紹介されていた。番組の最後のほうで、ゲストとして、岡部英一さんという郷土史家が登場する。手に『緑十字機の記録』という著書を持っておられる。
そうか、この番組は、岡部さんの著書をもとに作られたのか、と思った。その本『緑十字機の記録』が、どうしても読みたくなった。【この話、続く】