◎国内革新のために事変を延長継続する
『日本週報』の第四八・四九・五〇合併号(一九四七年三月二三日)から、岩淵辰雄の「続 敗るゝ日まで 一」を紹介している。本日は、その三回目。
〇太平洋戦争を挑発した理由
太平洋戦争、即ち、日本の対米英戦は、その支那事変を基盤とし、その延長として誘導くされた。支那事変を不当に延長継続することによつて、日本人をして対米英戦争を不可避と認識せしむる手段に出でゝ〈いでて〉、太平洋戦争を国民の認識の上に合理化することに成功して、日本人の愛国心を戦争に巻き込むだのである。
近衛内閣が、昭和十六年〔一九四一〕、日米交渉を開始した時に、東條を初めとして陸軍の中枢が、一応近衛の戦争を避けんとする外交方針を認めて、これに協力するかの如き態度を示しながら、その半面で、民間における彼等の協力者はあらゆる手段によつて、その交渉の成功することに反対した。彼等は、それをこういう理論で合理化した。
「……日本の国内革新は、将に〈マサニ〉、完成せんとしている。然るに、日米交渉によつて、その原動力であるところの支那事変が解決したのでは、これまで運んで来た革新の成功を、九仭〈キュウジン〉にして一簣〈イッキ〉に欠くことになる。支那事変は、日本が欲すれば、いつでも解決し得る。せめて、もう少し事変を継続して国内革新を実現、完成せしむべきである……。」
ところで、こうして陸軍の走狗となつて、軍人と表裏を為して事変の拡大、進展に拍車を掛ける重大なる役割を為したものは、日本革新の理論を振り翳して、国内輿論の誘導に努力したインテリとジヤーナリズムであつた。