◎大屋久寿雄への弔辞(長谷川才次)
昨日の続きである。大屋久寿雄の『戦争巡歴』(柘植書房新社、二〇一六年九月)を紹介している。同書の七一五ページに、図版として、『時事通信社報』の第八〇号(一九五二・一・二〇)の第六面が載っている。
本日は、その第六面から、告別式の際に読まれたという長谷川才次の「弔辞」を紹介してみたい。
弔 辞
大屋久寿雄君
時事通伝社一千五百を代表してここに弔辞を述べさせていただきます。あの終戦の当時、君は日本放送協会にあり、われわれは同盟通信社の対外宣伝を担当しておりましたが、あいたずさえて和平の実現に骨折つたいきさつはすでに終戦秘史として記録に残されておりますので省きましよう。
その後同盟通信社が自主的に解体したとき、君は卒先〔ママ〕、時事通信社の結成に参加し、創業艱難〈カンナン〉の際に卓抜した材幹と烈々たる気魄とをもつて社業の基礎を固めるのに寄与されました。
君が病臥するに至つたのは仕事のために無理に無理を重ねた結果だつたのでありますが、病床にあつても、君の脳裏を去来するのは常に社の仕事でありました。われわれはしばらく仕事を忘れて療養に専念するようくりかえし君にすすめたのでありますが、社を愛する君の熱意は療養のための打算をゆるさなかつたのであります。
大屋久寿雄君! 健康に阻まれて思う存分仂く〈ハタラク〉ことが出来なかつたのはさぞかし残念だつたことと思いますが、創業の当時における君の業績と灼熱的な君の愛社心とは、時事通信社の社史に特筆大書され、社僚同志の語り草となることでありましよう。君が生前口ぐせのように申しておりましたとおり君の肉体はあまりにも激しい君の性格と俊敏錐〈キリ〉のごとき君の英才とを背負い切れずに、重荷のもとに圧倒されたのでありますが君の業績は時事通信社ともに永遠に生き残るでありましよう。肉体は死して、しかも君は永生の門不死の境に入つたのであります。
君以つて冥せよ。
昭和二十六年十二月二十五日
代表取締役 長谷川 才次