礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本の陸軍軍人は左翼思想の所有主で且つ実行者

2016-10-30 05:12:48 | コラムと名言

◎日本の陸軍軍人は左翼思想の所有主で且つ実行者

『日本週報』の第四八・四九・五〇合併号(一九四七年三月二三日)から、岩淵辰雄の「続 敗るゝ日まで 一」を紹介している。本日は、その四回目。

  〇右翼は時代錯誤のドンキホーテ
 過去十数年に亘つた日本の軍国主義、フアシズムの時代を定義して、日本の大方の人達は、軍人とそれに連らなる右翼勢力の跋扈時代と簡単に規定する傾向がある。しかし、その認識には重大な誤りがある。
 日本の右翼団体が、平生〈ヘイゼイ〉、大言壮語して、自ら以て、東洋の豪傑を以て任と為し、固陋〈コロウ〉な帝国主義、侵略主義の素朴な実行を理想として、国体護持と、日本の国と人との優越性を誇張して、常に対外膨脹を鼓吹して来たことは、隠れもない事実である。
 彼等は、そうして軍の意図する侵略戦争を謳歌し、これを合理化し、国民を精神的に戦争に駆り立てた。軍人も、また、彼等の有している日本特有のいわゆる右翼勢力なるものを利用した。その仕方は、彼等の素朴な愛国論を以て、精神的に国民に影響を与えたばかりでなしに、その暴力的な力を利用して、国民を脅迫したのである。
 しかし、満洲事変から支那事変に、そして太平洋戦争への重大な進展の過程に於て、右翼勢力の成し得た役割というものは、実質的には、表面に宣伝せられ、且つ想像されているほど重大なものではなかつた。
 日露戦争当時の、未だ、儒教思想と、封建時代の遺習の抜け切らなかつた時代の日本人ならば、たゞ、対外硬といつただけでも、単純に血を沸かし、魂を躍らせたことであつたであろうが、それから三、四十年の月日を経過して、第一次世界大戦の経験をした後の日本人は、どんなに世界の文化から遅れているとはいつても、いわゆる、右翼と称するものゝ謂うところの頑迷にして粗笨〈ソホン〉な愛国心の宣伝に乗つて躍り出るほど馬鹿ではない。陸軍の軍人も、多分に彼等と連携し、彼等を利用し、たことは事実であるが、その利用の範囲は、彼等の有する暴力的、恐喝的の力の限度であつて、それ以上には及ばなかつたのである。
 十数年間に亘つて、日本に軍国主義時代を現出した処の、日本の陸軍の軍人は、寧ろ、日本の右翼や、一般の人々が考えているほど、保守的な存在でも反動的な存在でもなかった。寧ろ、彼等は右翼に加担するものでなくして、遥かに進んだ左翼思想の所有主で、且つその実行者であつたのである。
 そういう意味からいうと、日本のいわゆる右翼の人々は、陸軍の真相に通ぜず、かえつて、彼等平生の主張、行動であるところ、既に黴〈カビ〉の生えてしまつた、時代錯誤の思想を誇張することが、陸軍に迎合する所以だと、ドンキホーテの様に誤信したのである。滑稽とも、何とも評し様のないことであつたといわなければならぬ。【以下、次回】

 岩淵がこの文章でいう「日本の陸軍」については、故永田鉄山軍務局長が構想し、着手した国家総動員体制を実現しようとしていた、かなり広範な「政治グループ」と置き換えると、理解しやすいように思う。同様に、この文章でいう「右翼」については、その「政治グループ」に操られた「防共護国団」あたりをイメージすると、理解しやすいように思う(今月一五日のコラム参照)。
 岩淵辰雄の「続 敗るゝ日まで 一」は、このあと、もう一節が続いている。

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