◎卑小なる愚かさは許すべからざる罪悪
「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
本日は、「ソ連の回答即ち宣戦布告」の節の最初の部分を紹介する(二二~二四ページ)。
ソ連の回答即ち宣戦布告
在モスクワの佐藤大使は政府訓令に基き、翌〔七月〕十三日ソ連外務人民委員会代表部次長ロゾフスキー氏に会見して、帝国政府特使として近衛公が天皇陛下の親書を携行して近く来訪したき希望なるを伝へてソ連政府の回答を求めたが、ソ連政府としては折柄重慶政府行政院々長宋子文氏一行が重要交渉のため来訪中であつたほか、数日中に開催されるポツダム会談にはスターリン首相、モロトフ外相ともに出席であつたため、時間の余裕もなく、早急の回答はできないとの意向であつた。佐藤大使からはこの旨十四日付の電報で、ソ連の回答は多少遅延を免れまいと報告して来た。
翌十五日に外務次官松本俊一氏が東郷外相の命をうけて、折柄箱根湯本の桜井兵五郞〈ヒョウゴロウ〉氏別邸に滞在中であつた近衛公を訪問して、種々打合せをとげたが、近衛公の意見は外務省のそれと同様、愈々本格的な和平の談判となれば日本としては無条件降伏を受諾する以外に方法なかるべしといふにあつたといはれる。
十七日にはポツダム会談が開始された。外電は同会談に対日問題が議題になつてゐるといひ、また然らずといひ、囂囂〈ゴウゴウ〉たる論議のうちに、七月二十日、待望のソ連政府回答が到着した。しかし、右回答は単に「日本政府の申入れは具体的ならず、また特使派遣の目的も明瞭ならざる故、ソ連政府としては回答する能はず」といふ諏旨の「回答ならざる回答」であつた。
二十日午後六時から緊急最高戦争指導者会議が開かれて、ソ連政府回答が指摘してきた諸点につき緊急協議が開かれた。その結果「特使の派遣は対米・英和平の斡旋をソ連政府に依頼するためであることを申入れ、且つ条件としては特使たる近衛公より直接聴取ありたき旨通告すること」といふ諏旨を決定した。一度で済むことを二度に分けてしなければならない愚かさ。それも当方の肚〈ハラ〉が未定であつたり、方針が岐れて〈ワカレテ〉ゐたりしたためであるとするならばまだしも、当事者間の「他人には恥しくて説明もなりかねる」やうなさもしい心事のためにこの愚かさが敢へてなされて、貴重な何日かが空費されたのみならず、最初のときにすベてを明瞭にいひ切つてゐたならば或ひはポツダム会談で事態は大きく変化してゐたかもしれないものをと思はれる節が多々あるにつけても、この種卑小なる愚かさは許すべからざる罪悪ですらあるのだ。【以下、次回】