礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

競輪には反対したがドッグレースには反対しない(辻二郎)

2018-01-03 03:08:10 | コラムと名言

◎競輪には反対したがドッグレースには反対しない(辻二郎)

 本日もイヌの話題で。
 昨年末、神田神保町の古書展で、坂口安吾著『安吾人生案内』(春歩堂)という本を入手した。奥付(貼り奥付)を見ると、一九五五年(昭和三〇)六月一五日の発行になっている。ということは、安吾の死後の発行である。
 はなはだ不親切な本で、「まえがき」もなければ、「あとがき」もない。初出についての注記もない。編者がいたはずだが、その名前もない。
 内容から判断して、安吾が月刊誌に連載した十二編の文章をまとめたものであろう。連載のタイトルは、たぶん、「安吾人生案内」。新聞や雑誌に掲載された有名無名の人々の意見を、まず紹介し、それらについて安吾が、やや長めの論評をおこなうという形になっている。
 その本のなかに、「衆生開眼」という編があり、そこに、「ドッグレース」の話題が登場する。まず、辻二郎の「ドッグレースの話」という短い文章が紹介され、続いて、「ドッグレース」の是非という問題についての安吾の論評となる。この一編においては、ドッグレースの是非(というか「可否」)に関する安吾のコメントが秀逸なのだが、順序として、本日はまず、辻二郎が書いた「ドッグレースの話」という文章を引用してみたい。
 辻二郎〈ツジ・ジロウ〉は機械工学者で、戦後初期に国家公安委員会委員長を務めた。一九五一年(昭和二六)に、国会で「畜犬競技法案」(ドッグレース法案)が審議された際、衆議院に呼ばれ、公安委員として意見を述べたという。 

  ドックレースの話    辻 二郎

 先頃衆議院の農林委員会でドッグレースの法案〔畜犬競技法案〕が審議され、其時自分が公安委員として呼出され、意見を求められた際、積極的に反対しなかつた為にある新聞にひどく叩かれたという事があつた。昨年〔一九五〇〕競輪廃止の要望決議を提出した自分が、競輪同様に賭博的なドッグレーに反対せぬのは怪しからんという云分〈イイブン〉であつた様である。是には二つの間違があつたので、其第一は当時自分が会長をして居た犬の協会から、自分の知らぬ間に会長名で請願書が出て居た事と、第二は昨年の競輪廃止の要望の理由は「治安上害がある」と云う事で賭博的である事は要望書には一つもなく、従つて宝くじ、競馬、オートレース等には触れず競輪だけに反対したのであつたが、其点が一部の誤解を招いた事である。公安委員の自分が競犬法〔畜犬競技法〕の請願人になる等と云う事は自分でも呆れた位だから、事情を知らない記者が公憤を感じるのは無理も無いのである。然し公憤のあまり筆が走り過ぎてか、自分の発言を相当に歪曲して書いた事実はジャーナリズムには有りがちの事だが、自分としては甚だ迷惑で、其の事情は自分が東京新聞(〔一九五一年〕五月卅一日)に書いた通りである。廃止の要望に国警公安委大会の決議で「治安を乱し、青少年が犯罪を犯す」点手だけを取上げたのは公安委員と云う立場からは当然の事である。此の要望は国会では取上げられず競輪は再開したが昨年一月から九月迄四十七件起つた警察沙汰は再開後の五ケ月間に三件に減って居り、要望の効果だけはあつた様で、四月の公安委大会には議題とならず一応静観の姿である。
 宝くじ、競馬、競輪の様な公認賭博的なものに就ては公安委員としてより寧ろ一般国民の一人として検討すべきもので、可否いずれの側にも多くの議論が成立するであろう。等のかけごとは戦前ヨーロッパではいずれもなかなか盛〈サカン〉であり皆が人間通有の賭博的興味? を大いに楽しんで居た事は筆者も目撃して来て居る。然し文明国でやつて居るから其のまま日本でもやるベしと云う結論にはならぬかも知れない。と云うのは欧洲の此種競技場では昨年の競輪騷ぎの様な警察沙汰の起つたのを殆んどかない。日本での運営方法が悪く観衆の賭博神経を刺戟し過ぎると云う事があるかも知れぬ。或は国民の教養節度が低く、こうした競技を楽しむ資格が無いと云う事かも知れぬ。若しそうとすればそんな国民にはまだ早過ぎる。幼児に花火を持たせるなものだと云う事になる。いずれにしても競技の為に白昼公衆の面前で、放火、強盗、殺人、傷害と云つた犯罪を頻発させる様な事ならば好ましからずと云われても止むを得ないし、ひいてはこうした惧〈オソレ〉のある一切の競技迄白眼視される事になる。分けても青少年への影響は憂慮されるものがあり、未成年者入場禁止等も研究問題で、すべてこれらは国会の議題として充分論議を尽すべきであろう。
 自由を尊重する民主主義の世界には成可く〈ナルベク〉禁則の少ない事が望ましい。然し其為には禁則が無くても問題を起こさない様な立派な国民になることが先決問題である。

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