礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

坂口安吾、犬と闘って重傷を負う

2018-01-02 01:46:14 | コラムと名言

◎坂口安吾、犬と闘って重傷を負う

 今年はイヌ年なので、イヌの話題をひとつ。
 昨年、坂口安吾のエッセイを集めた『散る日本』(角川文庫、一九七三)という本を読んだ。私は、安吾の良い読者ではないが、昔から彼のエッセイには親しんでいて、そのユニークで大胆な発想に、少なからぬ影響を受けてきたと自認している。
『散る日本』に載っていた十九のエッセイは、どれも初めて読んだものだったが、そのどれもが興味深いものだった。
 十九番目に「戦の文学」というエッセイがあった。これは、ジャン・ジュネの『泥棒日記』の紹介を兼ねたエッセイだが、そこに「犬」の話が出てくる。

 私は一週間ほど前に、私の最も愛している大きな犬(コリー種)と大格闘をやって、ひどい怪我をした。私が彼をどうしてもやッつける考えを起こしたのは、私があんまり彼を愛しすぎ、彼があんまり私の愛にたよりすぎるのが癪にさわってきた結果なのである。
 それは人間の場合だって、犬の場合だって、変りのあることではない。あんまり愛が激しくなって、まるで自分がそれに縛られたように感じてしまえば、やっつけてやらずには済まない気持になるのであった。私はゴルフのクラブ(アイアンの一番)を握りしめて、まず犬と大格闘し、彼をやっつけるよりも私の方がより多くやっつけられた。しかし、私はひるまなかった。次は女房をやッつける番であり、つづいて友人をやっつける番である。しかし、全てに於て結局私がやっつけられてしまったのは、実際は、そうして最後に私自身がやっつけられたいことを本心で願っていたせいではないかと思う。
 私は犬から受けた重傷が化膿するのを医者にも見せず放ったらかしておいた。彼が狂犬で、彼にかまれた私が狂犬病で死ぬことになれば面白い結果だと考え、私が狂犬病の発作を起して口をきくことができなくなった場合に、安楽に殺してもらうために、安楽死の命令書を書いてフトコロに秘めておいたのである。

 愛犬を愛するがゆえに格闘したり、狂犬病で死ぬことを覚悟したりと、この当時の安吾の精神状態は、どう考えてもマトモではない。その安吾に、一番アイアンで殴られたコリーは、まさに災難であり、同情を禁じえない。
 さて、そうした情況にあった彼は、ジャン・ジュネの『泥棒日記』を手に取り、「夕方から翌朝まで、一睡もせずに読み終った」という。そして、同書は、「このような私にすら生きぬく勇気と力を与えてくれた」と述べている。安吾には似合わない謙虚さである。
「戦の文学」の初出は調べていないが、『泥棒日記』の翻訳(朝吹三吉訳、新潮社)が出たのは、一九五三年(昭和二八)六月である。安吾が、「戦の文学」を書いたのは、同年同月以降、一九五五年(昭和三〇)二月に亡くなるまでの間ということになるだろう。

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