◎石原莞爾『国防政治論』の目次から見えてくるもの
今月一四日のコラム「石原莞爾の話術について」において、石原莞爾著『国防政治論』(聖紀書房、一九四二年一〇月)には、三つの講演が収録されていると述べた。
正確に言えば、三つの講演の記録と、過去に起草した文章の結論部が収録されている。
次に、同書の目次を掲げてみる。
国 防 政 治 論 目 次
第一章 戦争指導機関………………………………四
第一節 政戦両略の関係…………………………四
第二節 大本営…………………………………一四
第二章 国防国策…………………………………一九
第一節 最終戦争………………………………二〇
第二節 昭和維新の方針………………………二五
第三節 大東亜戦争……………………………三二
一、大東亜戦争の性格………………………三二
二、国民の責務………………………………四四
三、大東亜戦争と最終戦争…………………四九
第三章 国防国家の政治…………………………五六
第一節 政治組織………………………………五七
一、指導者原理………………………………五七
二、統制批判…………………………………六四
三、人体との比較……………………………八〇
1. 大本営……………………………………八一
2. 政 党……………………………………八一
3. 軍と政治………………………………一〇二
4. 官 憲…………………………………一一七
5. 自治組織………………………………一二二
四、綜合的観察………………………………一二三
五、満洲国の政治組織………………………一三一
第二節 人…………………………………………一五〇
一、世界観………………………………………一五五
二、生 活………………………………………一七一
三、教 育………………………………………一八三
四、動 員………………………………………一九〇
第三節 物(生産)………………………………一九二
一、農村の改新…………………………………一九二
二、経済建設……………………………………一九四
1. 政治と経済…………………………………一九四
2. 資源と技術…………………………………一九六
3. 発明の奨励…………………………………二一〇
補 日本の国防…………………………………………二一九
補 支那事変の解決……………………………………二五三
補 ナポレオンの対英戦争に就いて…………………二八五
編輯後記……………………………………………三二四
この目次は、「国防政治論 目次」となっている。「目次」とあって、そのあと「第一部 国防政治論」となっているわけではない。この本は、『国防政治論』と題し、「国防政治論」という講演記録のみを紹介する本として、企画されたのであろう。
ところが、急遽、それに三本の文章を補う必要が生じた。なぜか。この講演記録の重要部分が、「日本の客観的諸情勢に規制されて」、削除されたからである。これでは、書物としての価値も下がるし、ページ数も減ってしまう。そこで、編輯者は、削除された部分を補いうる文章を探し、それを、「補」という形で補ったのではないだろうか。
削除された「第一章第三節」において石原は、「日本の国防」について語っていたはずである。だからこそ編輯者は、「日本の国防」を加えたのある。
同じく削除された「第二章第三節の一と二の間」においては、「支那事変の解決」について語っていたはずである。だからこそ編輯者は、「支那事変の解決」を加えたのである。
では、なぜ、「ナポレオンの対英戦争に就いて」が加えられたのか。これは、一見すると、純然たる戦史研究のように見えるが、石原は、実はここで、「支那事変」についても論じている。「支那事変」について論じたいがために、「ナポレオンの対英戦争」を引き合いに出しているようなところがある。つまり、この文章もまた、削除された部分を補うために選ばれた可能性が高い。
以上は、あくまでも仮説であるが、同書の本文および「補」を、そういう仮説に立って読んでゆくと、石原莞爾の時局批判、その時局批判に対する当局の姿勢、この本を編輯したのは山本勝之助の意図といったものが、かなりよく見えてくるような気がする。
なお、同書所収の各文章について、簡単な紹介をおこなっておく。
「国防政治論」 本書『国防政治論』の中心を占める。中扉に、〝昭和十七年一月三日~五日/千葉県小湊に於ける東亜連盟講習会講演〟とある。「であります」調。講演速記を起こしたものか。
「日本の国防」 「補」のひとつ。中扉に、〝昭和二年十二月三十日起草/「欧州古戦史」の結論なり〟とある。「なり」調(文語体)。陸軍大学における講義用として書かれたものか。
「支那事変の解決」 「補」のひとつ。中扉に、〝昭和十六年七月十八日講演〟とある。
「である」体。講演用にあたって準備された原稿か。
「ナポレオンの対英戦争」 「補」のひとつ。中扉に、〝昭和十四年九月一日〟とある。「であります」調。講演速記を起こしたものか。