礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

榊山潤『小説石原莞爾』(1954)の序文

2018-01-22 00:36:27 | コラムと名言

◎榊山潤『小説石原莞爾』(1954)の序文 

 石原莞爾(一八八九~一九四九)は、戦中から今日まで、つねに人々の注目を浴びてきた人物である。戦中の一九三七年(昭和一二)、すでに、西郷鋼作著『石原莞爾』(橘書店)、および、菅原節雄著『板垣征四郎と石原莞爾』(今日の問題社)という二冊の本が出ている。
 戦後は、一九五〇年(昭和二五)に、精華会中央事務所から、『石原莞爾研究 第一集』というものが出ている。一九五二年(昭和二七)には、榊山潤著『石原莞爾』(湊書房)、および、山口重次著『石原莞爾 悲劇の将軍』(世界社)という二冊の本が出ている。一九五四年(昭和二九)には、高木清寿著『東亜の父 石原莞爾』(錦文書院)、および、榊山潤著『小説 石原莞爾』(元々社)という二冊の本が出ている。
 それ以降も今日まで、タイトルに「石原莞爾」を含む本(図書)が、多数、出版されている。
 一九五四年までに出た本のうち、榊山潤著『小説 石原莞爾』(元々社)は、だいぶ前に読んだことがあるが、それ以外の本は、一冊も手にしたことがない。『小説 石原莞爾』にしても、ほとんど内容を覚えていない。
 本年になって、久しぶりに同書を引っぱり出してみた。一九五四年一一月二五日の発行で、元々社「民族教養新書」の20にあたる。巻頭に、「新版の序に代へて」という一文があり、同書は、榊山潤著『石原莞爾』(湊書房、一九五二)の「新版」であるらしいことがわかった。図書館で確認してみたところ、『石原莞爾』と『小説 石原莞爾』の内容は、ほとんど同一であり、後者の巻頭に、「新版の序に代へて」という一文が置かれている点のみが相違点であった。
 さて、本日は、榊山潤著『小説 石原莞爾』から、「新版の序に代へて」を紹介してみたい。

  新版の序に代へて

 これは「石原莞爾」の伝記でもなければ、頌徳表でもなく、飽くまでも小説である。私はこの作品によつて、日本の旧軍閥の中にも、かういふ流れのあつたことを書いて見たかつた。この流れは結局は無力であつて、玉とも瓦とも砕けずに終戦を迎へたが、さういふ生き方自身もまた悲劇である。私はこの悲劇を究めたかつたと同時に、とかく一辺倒になりがちな風潮に対して些かの天邪鬼を発揮して見たかつた。これを書いた昭和二十五年とは大分情勢も違つて来たが、逆コースといはれる今日、この題名のために蒙つた愚かな誤解を、別の意味で再び蒙るかも知れぬ。が、そんなことはどうでもいい。唯、ダイジェスト的でない読者には、些か私の意のある処を汲取つて貰へるだろう。
  昭和二十九年十一月         著 者

 榊山潤(一九〇〇~一九八〇)は、昭和期の作家で、『歴史』(一九三九~一九四〇)などの作品がある。なお、村岡素一郎著の奇書『史疑』(一九〇二)を再発見し、世に知らせたのは、榊山潤である(『特集人物往来』一九五六年五月号)。

今日の名言 2018・1・22

◎私はほとんど変態せぬカマキリよりもきちんと変態するチョウのほうが好きなのだ

 西部邁氏の言葉。その著書『破壊主義者の群れ』(PHP研究所、一九九六)の二〇五ページに出てくる。みずからの思想遍歴(思想的「変態」)を振りかえり、それを肯定した言葉。報道によれば、昨21日、西部邁氏が亡くなられたという。ご冥福をお祈りします。

*このブログの人気記事 2018・1・22(7位に西部邁氏が入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする