礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

徳永忠雄さんからの私信(『独学文章術』の感想ほか)

2020-08-14 02:16:44 | コラムと名言

◎徳永忠雄さんからの私信(『独学文章術』の感想ほか)

 今月初め、柳田國男研究家で全面教育学研究会の徳永忠雄さんから、次のような私信をいただきました。拙著『独学文章術』に対する感想が含まれていましたので、ブログで紹介させていただけないかとお願いしたところ、さいわい快諾を得ましたので、以下に、紹介いたします。
 文中、一行アキは、原文のままです。

礫川全次様
 最新著『独学文章術』送っていただきありがとうございました。早速読ませていただいています。なるほどと思ったり、そういえばと思い出したり、興味深く読んでいます。
 一筋縄ではいかないのが文章です。手紙一つとっても一気に書き上げて翌朝読んでみると、語尾が単調になり、小学生の作文のようになってしまい…。最近は、パソコンで下書きして、自筆で清書する、というようなこともしています。
 先日、全面教育学研究会の向井吉人さんからコトワザ論集『戯をみて書かぬは遊なきなり』(自家製本)が送られてきました。その中に「…わたしの〈書くこと〉への執着を語っているのではないかと思えます」とそのタイトルのことが書かれていて、70歳をとうに超している人の熱量を感じました。私は文章術とともに、著者の熱き思いこそが文章を引き立てているように感じています。

 本文中の柳家小三治について、なるほどと思うことがあります。私は実のところ小三治の落語が今ひとつ楽しめないのですが、あのひとのマクラはすごいと思います。
 その日の客をみて語っているんでしょう。だからやたらと間が長い。その間が引き込まれる原因でもあるんでしょうが、世の中のなにげない一瞬を切り取って語ってみせるその話術は、結論を言っておいてその理由に行き着くまでを延々と引っぱて飽きさせません。『鳶職のうた』を読み、私には小三治の声が聞こえてきそうでした。

 芳賀登の『柳田国男と平田篤胤』の一講も興味深かったです。悪文を著作から探すのは、礫川さんのような博覧強記でないと不可能です。が、この本の成り立ちと著者のフォローも含めて読ませるなあ、と思いました。
 さて柳田国男の文章も講演を文章化した著作は比較的読みやすいのですが、論説などは一文が長く、激しい複文で、主語と述語の対象を探しあぐね悪意を感じる時さえあります。柳田の性格が出てるのでしょうか。

 高橋源一郎が‘学校では教えない文章’として坂口安吾の「天皇陛下にささぐる言葉」(1946)を紹介しています(『読むってどんなこと』2020)。この本では、ここまで言っちゃっていいのと思うほど天皇へのストレートな抗議を「である体」で書くんですが、その激しさは、伊丹万作の「戦争責任論」の明確さに匹敵すると思いました。昭和21年の当時、みんながひそかに思っていたことをあんなに直截に書いた安吾はすばらしいの一言、伊丹はさらにスマートです。

  宮良当壮の「架空座談会」絶妙でした。対談とか対話っていうのは、話し言葉にテンポがあるとすいすい読んでいけます。あとは対立したり意見が異なったりするともっといいんです。今回も伊波普猷さんとの対比が楽しめました。そこで思い出したのが万葉史家の上野誠(1960- )さんの『魂の古代学』(新潮選書)です。この本は、のっけから折口信夫と上野誠の対談が用意されています。あり得ない対談ですが、上野さんが折口にたしなめられながらも迫っていく演出が興味深く読めます。

 私の好きな文章は、フランス文学者の鹿島茂の書いたものです。彼は良い意味で読者を意識しています。だから時々読者に語りかけるのです。これがいい。『吉本隆明1968』(平凡新書)、『とは知らなんだ』(幻戯書房)、『渋沢栄一』(文春文庫)などがあげられます。本文から閑話休題する作家として司馬遼太郎がいますが、司馬さんほどもったいぶっていないのがいいんです。

 調子に乗って書き連ねましたが、まだ完読していないので、演習を楽しみながら読ませていただきます。コロナ禍の折り、読書が広がり楽しめる一冊になりそうです。

     8月2日  徳永忠雄拝

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