◎感想 礫川全次『独学文章術』 尾崎光弘
『日本憲兵正史』の記事「広島及び長崎へ原爆投下と憲兵」を紹介している途中だが、新刊の拙著『独学文章術』(日本実業出版社、二〇二〇年七月)に対して、畏敬する尾崎光弘さんから、次のような書評をいただいたので、本日は、これを紹介させていただきたい。
感想 礫川全次『独学文章術』(日本実業出版社 二〇二〇)
本文を通読し終えて、そのまま巻末附録の「文章術のための名エッセイ36」欄を見ながら、今度読みたいなあと思うエッセイをチェックして、それから頁を閉じました。そしたら自分でも思いがけないほど自然に「面白かった」という独り言がこぼれました。
どこが面白いって?だって在野の歴史家が、研究の途上で出会った多彩な例文を蒐集し手頃な短さで、しかもその例文にまつわる歴史的な情報とともに紹介されているんですよ。その一つに、七十五年も前、敗戦が決まってから、小学一年生がまだ帰らぬ父宛に書いた葉書があります。これを通して「それらしい文章を書く」ためには何を心得ておけばいいかを説く第一部導入編から、映画の解説文まで訂正しちゃう第八部推敲編まで、名文・奇文・悪文を集めに集めた28本(少し大袈裟か)。
名文・悪文はともかく、箕作麟祥によるフランス法典の全訳『仏蘭西法律書』(明治八年四月)は、文章術の例としては奇文でしょう。これを取り上げた理由は「この翻訳書が、近代の日本語に、重大な影響を与えたと考えられる」からだそうです。すごいなあ、一見識です。
なぜ例文が28本か。この本は全八部から成りますが、各部には3、4個ずつ「講習」が配されており、その合計が28講なのです。一講習に1例文なのです。講習だから設問がついています。簡単に答えられるものから結構時間のかかりそうなものまで、いろいろありますが、例文をよりよく理解するための設問です。実際に著者が自分で立てた設問に自分で答えて解説や感想まで書いてくれているので、こちらの方を先に読んですますこともできます。このほうが著者の考え方を手っ取り早く学べます。
改めて、なぜ「講習」なのか。この本は『独学文章術』というタイトルですが、なにか文章を書く上で役立ちそうな「文章ワザ大全」的なイメージだったらハズレです。たしかに、重要そうなワザがいくつか紹介されていますが、その実体は、文章術を独学で研究するための練習帳あるいは参考書なのです。いや文章術研究の模擬体験ができる「シミュレーション本」だといった方がピッタリかもしれません。
とすれば、いったい著者の考える文章術の研究とはどのようなものなのでしょうか。一つ紹介しましょう。一つめは「ミタカの思い出 名誉市民 山本有三」と題されて三鷹市報(一九六五十一月三日)に掲載された小文です。そして礫川氏はこの文章をまずこう評しています。──≪元三鷹市民で、三鷹名誉市民である山本有三は、『三鷹市報』の編集者に、三鷹の思い出についての原稿を求められ、この小文をしたためました。どういう原稿が求められているのかを、よく理解した上で、この短く平易で気持ちの籠もった文章、いかにも「それらしい文章」を書きあげたのだと思います≫と述べて、ふたつの文章術について説いています。ひとつは、「平易さ、わかりやすさ」を支えるテクニックで、①難しい言葉、難しい漢字は、なるべく使わない。②短くて、単純な構造のセンテンスを使う。③細かい事情については、説明を省く。もう一つは「高度なテクニック」で、「文章の末尾が、単調にならないように、変化を持たせている」ことだと説いています。そうそう、山本有三がこの小文に籠めた気持ちとはどういうものだったかについても忘れずに書いています。すなわち≪本当は三鷹に住んでいたかった、「名誉市民」ではなく、ごく普通の三鷹市民でいたかった、≫という気持ちです。おそらくこの気持ちこそが、三鷹市報の編集者に応えたものでしょう。
しかし、ここで心づくことがあります。私たちが知りたいのは、この気持ちが小文でどのように書かれているかです。どう書かれているかが納得できれば、書くときに活用できるはずだからです。実際にはストレートに書かれていないので、読んでいるうちに静かに沁みてくるような書き方をするにはどう書けばいいのか。ここが知りたいのです。この求める知識こそ、文章術の名にふさわしいと思います。しかし、この点は説かれていません。「平易さ、わかりやすさ」を支えるテクニック、高度なテクニックには触れても、飾らない文章のなかに自分の心をどう込めて書いたのか、が書かれていません。どうしてそこに触れないのか。私のお気に入りの尾股惣司「おにぎり」や伊丹万作の「戦争責任者の問題」についても批評で見逃せないことはチャンと押さえているのに、それが文章としてどう書かれているのか、ここに触れていないのはなぜか。ずっーと考えています。(尾崎 光弘)