◎17時半、無気味な警戒警報が鳴り響いた(1944・6・15)
『航空少年』一九四四年(昭和一九)七月号から、「B29撃墜の勇士を訪ふ」という記事を紹介している。本日は、その二回目。
木村准尉は語る
無気味な警戒警報のサイレンが鳴り響いたのは、六月十五日の十七時半である。われわれは部隊長殿の命一下、いつでも戦闘ができるやうな配備について、待機してゐた。
真赤にもえた太陽が、ぼうつと霞んだ山の端〈ハ〉に沈むと、飛行場の隅々から夕闇がせまつてきて、あらゆるものを闇一色に包んだ。
田圃〈タンボ〉越しに見える農家の夕凉みの燈火も、町のあかりも全く管制されて、ただ大空にまたたく星のみが、刻一刻とその影を増してゐる。
私はふと真赤な太陽の光に機体を輝かして、支那大陸を一路東に進攻してくる憎むべき米機の大編隊を心に描いた。
彼等は支那大陸のあちらこちらに大きな飛行場を作って、太平洋中央突破の作戦と呼応して、折あらばわが本土を急襲して、大東亜建設の大事業を挫折させてやらうと企ててゐるのである。この野望を果すために、コンソリ〔コンソリデーテツド〕のB24やアメリカ空軍の虎の子である超空の要塞ボーイングB29などを大量に空輸して、在支米軍の充実をはかつてゐるといふ情報は、しばしば耳にしたところである。
〝いよいよ来るか米鬼奴〈メ〉〟
私はじつと星空を仰いで攻撃の方法を考へた。何ともいへない闘志が身体中にむらむらとわき上つてくるのをおぼえる。
敵 機 来 る
我が精鋭なる防空監視哨の活躍が、敵機を捕へた。
「敵重爆〇〇、高度〇〇、〇〇の方向に向つて〇〇上空通過」
確実な敵機来襲の情報である。
部隊長殿は、われもわれもと出撃を希望する荒驚の中から、その一部に出動準備を命じられた。
私は幸にその第一陣に加はることができた。私の同期生の幾人かは、苛烈なる南方空の決戦場で華華しく戦ひ、米英空軍の心肝を寒からしめて、雲染む屍と散つてゐるのである。私は内地防衛部隊に配属されたために、一刻も早く第一線にたつて、敵撃滅の血戦に参 加したいと念じながらも、今日までひたすらに若鷲を育てる仕事を続けてきたのである。
今日こそ日頃の望みがかなつて敵機の胴腹〈ドウバラ〉に日頃手練〈テレン〉の巨弾を打ちこむことができるのである。〝南方に散つた戦友の仇〈カタキ〉を討つのは今だ〟私は心に期して、愛機の点検をすまし、出撃の命令をまつた。【以下、次回】