◎千年以来、神社教信仰の下火の時代が続いていた
民俗学研究所編『民俗学の話』(共同出版社、一九四九年六月)から、折口信夫の「神道の新しい方向」というエッセイを紹介している。
本日は、その三回目。【 】内は、原ルビ、または傍点を示す。
いったい日本の神々の性質から申しますと、多神教的なものだという風に考えられて来ておりますが、事実においては日本の神を考えますときには、みな一神的な考え方になるのです。たとえば、たくさん神々があっても、日本の神を考えるときには、天照大神を感じる、あるいは高皇産霊神を感じる、あるいは天御中主神を感じるというように、一個の神だけをば感じる考え癖というものがあります。そのあいだにいろいろな神々、もっとも卑近な考え方では、いわゆる八百万の神というような神観は、低い知識の上でこそ考えていますが、われわれの宗教的あるいは信仰的な考え方の上には、ほんとうは現れてはまいりませぬ。日本という国の信仰の形は、そういうふうがあると見えて、仏教の側で申しましても、多神的な信仰の方面を持ちながら、その時代々々によって、信仰の中心は、いつでも移動しておりまして、二、三あるいは一つの仏、菩薩が対象として尊信せられてまいりました。釈迦であり、観音であり、あるいは薬師であり、地蔵であり、そういう方々が、中心として、信じられておったのです。これが同時に日本人の信仰のしかただと思います。
日本人が数多の神を信じているように見えますけれども、やはり考え方の傾向は、一つあるいは僅かの神々に帰して来るのだと思います。今日でも植民地に神社を造ったその経験を考えて見ますというと、みなまず天照大神を祈っております。この考え方はおそらく多くの間違い、多くの植民政策を採る人の間違った考えを含んでおった、あるいはそれを指導する神道家が間違った指導をしておったということを意味しておるのでしょうけれども、やはりその間違いの根本に、そういう統一の行われる一つの理由があった。つまりどうしても、一神に考えが帰せられねばならぬところがあったのだと思います。
それで、われわれはこゝによく考えて見ねばならぬことは、日本の神々は、実は神社において、あんなに尊信を続けられて来たというふうな形には見えていますけれども、神その方としての本当の情熱をもっての信仰を受けておられたかということを考えて見る必要があるのです。
千年以来、神社教信仰の、下火の時代が続いておったのです。例をとっていえば、ぎりしや・ろうまにおける「神々の死」といった年代が、千年以上続いておったと思わねばならぬのです。
仏教の信仰のために、日本の神は、その擁護神として存在したこと、欧州の古代神の「聖何某【セントナニガシ】」というような名で習合存続したようなものであります。
われわれは、日本の神々を、宗教の上に【、、、、、】復活させて、千年以来の神の軛【クビキ】から解放してさし上げなければならぬのです。
こゝに新しい信徒に向っては、初めてそれらを呼び醒さなければならないでしょう。
とにかくそうしなければ、日本のたゞいまのこういうふうに堕落しきったような、あらゆる礼譲、あらゆる美しい習慣を失ってしまった世の中は救うことが出来ませぬ。また、そればかりではありません。日本精神を云々する人々の根本の方針に誤ったところが、もしあったとしたなら、この宗教を失っておった――宗教を考えることをしなかった――、宗教をば、神道の上に考えることが罪悪であり、神を汚すことだと――、そういった考えを持っておったことが、根本の誤りだったろうと思われるのです。だからどうしてもわれわれは、こゝにおいて神道が宗教として新しく復活して現れて来るのを、情熱を深めて仰ぎ望むべきだと思います。【以下、次回】
「天照大神」、「高皇産霊神」、「天御中主神」、「八百万の神」の読みは、順に、「あまてらすおおみかみ」、「たかむすびのかみ」、「あめのみなかぬしのかみ」、「やおよろずのかみ」である。
また文中、「もっとも卑近な考え方では、」というところがあるが、青空文庫では、当該箇所は「最も卑劣な考へ方では、」となっている。ここは、「卑近な」とあるべきであろう。