礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

士官学校事件は一部の幕僚派によるでっち上げ(石橋恒喜)

2021-02-24 04:04:51 | コラムと名言

◎士官学校事件は一部の幕僚派によるでっち上げ(石橋恒喜)

 石橋恒喜著『昭和の反乱』(高木書房、一九七九年二月)の上巻から、「十三 皇道派への反発強まる」の章を紹介している。本日は、その六回目。

 士官学校事件起こる
 偕行社事件から数日後の二十日、記者クラブに顔を出すと、省内の空気があわただしい。〝何かあったのか〟と新聞班でたずねると、皇道派の一部将校と士官候補生による不穏計画が発覚、数名の将校と士官学校の生徒が検挙されたのだという。新聞報道は、〝当分、禁止〟とのことだった。一部将校 による不穏事件――私は首をかしげた。なぜなら、このところ連日のように山口一太郎や柴有時らと会っている。不穏計画があったとすれば、そのにおいだけでもかげないはずはないからだ。これは奇妙だ。そこで、その夜、私は山口や柴らのところを駆け回った。彼らもまた、きつねにつままれたような顔をしていた。「西田君(税)に聞いたら分かるかも知れない」というので、山口が電話をかけた。ところが、西田もさっぱり見当がつかないという。ただ検挙されたのが、村中孝次〈タカジ〉(陸軍大学校学生 )、磯部浅一(野砲一)、片岡太郎(士官学校区隊長)と佐藤勝郎ら士官候補生五名であることが分かった。その時、山口らの語ったところによると、村中は〝慎重居士〟で、みずから直接行動を主導するような男ではない。これは幕僚どもの謀略に引っかかったのかも知れない、とのことだった。
 その後、私が調べたところによると、やはりこれは一部の幕僚派によるでっち上げであった。しかも、スパイを青年将校グループの中へ放って、検挙のきっかけを作ったというのだ。醜悪といおうか何といおうか――このスパイ事件が〝皇軍〟の将校同士の間で演じられたというのだから、ただただ啞然たるものがあった。
 スパイを動かしたのは、士官学校第一中隊長の辻政信大尉であった。辻は、東条英機が士官学校幹事(副校長)へ追われた時、参謀本部第一課勤務から引っこ抜かれてきた東条の腹心である。東条はこの悍馬を使って、〝仇敵〟の真崎〔甚三郎〕教育総監にひとあわ吹かせる作戦だったことは前にも触れた。そして、この作戦は、まんまと的中した。陸大は抜群の成績で栄誉ある恩賜の軍刀組、そのうえ戦場に出ては上海戦の勇士――といった辻の勇名は、若い将校生徒たちにとってあこがれの的であった。その中に教え子の佐藤勝郎という候補生があった。彼は大正三年の青島戦争の際、〝軍神〟とその名をうたわれた佐藤喜平次少将の遺児である。十月のある夜のこと。辻が週番勤務についているところへ、佐藤がやって来た。
「中隊長殿、ご相談申し上げたいことがあります。実は自分と同期の武藤与一候補生の話によると、彼や同志の生徒は青年将校と組んで、クーデター決行の計画をしておるとのことです。どうしたらよいものでしょうか」
 その翌日、辻は佐藤に命令した。青年将校の思想に共嗚しているかのように装って、その内情を偵察してこい、というものだった。佐藤は勇んでスパイ活動を開始した。これがいわゆる「十一月二十日事件」(士官学校事件)の始まりである。

 ここまでが、「十三 皇道派への反発強まる」の章である。このあと、「十五 白昼の惨劇」の章を紹介するつもりだが、明日は、いったん、この本から離れる。

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