◎緒方竹虎は「イヤ僕が行こう」と言って……
『週刊朝日奉仕版』(一九五八年五月一四日)から、細川隆元執筆の「二・二六事件その日」という文章を紹介している。本日は、その三回目。
社を襲った反乱部隊
その中〈ウチ〉に段々と幹部が集まり、大体顔が揃いかけた八時二十分ころ、憲兵隊から編集局に電話がかかって来た。ちょうどそれに出たのが前晩から宿直していた磯部〔裕治〕記者で、「昨晩からの責任者スグ来い!」との命令である。「私は宿直で昨晩から社にいたが、幹部でもなんでもないペーペーだ」というと「イヤ、君でもよいからとにかくスグ来い」との先方の命令に、社旗を立てた自動車で九段下の東京憲兵隊に途中止められ止められして行ってみると、少佐位のが出て来て「朝日新聞は今日は絶対に新聞は出してイカン、帰って幹部にそう伝えろ!」とド鳴られて、磯部記者は訳も分らぬままに宙を飛ぶようにして帰社して幹部にこのことを話そうと思ってエレベーターで三階の編集局に上ったトタン、なんだか一階のほうがガヤガヤ騒がしくなったので、イキナリ数寄屋橋の表に面した編集局長室に飛び込むと、そこには緒方〔竹虎〕主筆、美土路〔昌一〕局長始め社の幹部がいっぱい詰って額〈ヒタイ〉を集めていたというのが、磯部記者の記憶談である。
実は、そこには私〔細川隆元〕もいた訳で、幹部達の心配そうな話を聞き、やがて私は同僚の香月〔保〕君とベランダに出て「今度のは前の五・一五事件位の生やさしいものじゃないらしいネ。この分じゃきっと革命軍は朝日を襲うて来るネ……」と二人で話しているところへ、ちょうどそれは九時二十分ころだった。兵隊を満載した二台のトラックと乗用車が一台、社の玄関の前にピタリと止った。思わず「来た! 来た!」というと、みんなベランダに出て来た。
その時「これが革命か」といった生々しい感じに襲われ、また「言論の自由もこれでおしまいか!」といった淋しい感じに打たれた。さて、どうするだろうかと見ていると、一台に三十人位乗っていた兵隊が小銃と機関銃を持って乗用車から下りた将校に指揮されて一隊は社の後方に回って行ったようだったが、一隊は機関銃を据えつけにかかった。いよいよあの機関銃でバラバラやられるのかなアと思って見ていると、五挺〈チョウ〉位の機関銃を玄関の前に、こっちを向けて並べずに道路の方を向けて並べたのである。ハハア、これは革命軍が朝日新聞を襲うという情報があったので、正規軍がわれわれを保護するために来たんだと、実はホッとしたのである。
このために電車も止ってしまうし、通行も自然に止ってしまった。しかし、よく見ていると、どうも様子が違って、銃を持った一隊とピストルをぶら下げた将校は険悪な顔付をして社屋にズンズンはいって来る。で、一たんベランダに出た幹部もまた局長室の席について、どうしたもんだろうかという評定〈ヒョウジョウ〉が始まった。私が「これは何か防禦方法を講ぜねば…」というと、美土路局長が「防ぐたって別に防ぎようもあるまい」と静かにいったので、みんな押し黙ってしまった。その時だった。守衛が宙を飛ぶようにして社会部のデスクの磯部記者のところに来て「下に将校が来て昨晩からの責任者と一番偉い人に会いたい、といっています」といったというので、今度は磯部記者がこの旨をもたらして局長室に入っで来た。すると、美土路局長が半分独り言のように、半分緒方氏に向って「俺が行こうか?」というと、緒方主筆は「イヤ僕が行こう」といって、ほんとうに悠々とした態度で出て行った。
こうして一旦局長室を出て行った緒方さんは、すぐにまた引き返して来て、なんだか書類かメモか分らないようなものをポケットから出して机の片隅に置いて出て行って、三階からエレベーターで一階に降りて行った。【以下、次回】