礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ソビエト・ウクライナとカナダ・ウクライナ

2022-03-06 00:13:49 | コラムと名言

◎ソビエト・ウクライナとカナダ・ウクライナ

 金田一春彦編『日本語動詞のアスペクト』(むぎ書房)を紹介している途中だが、昨日、たまたま手に取った本に、ウクライナ文化のことが出てきたので、本日はこれを紹介してみたい。
 手に取ったのは、言語学者・田中克彦さんの『法廷に立つ言語』(岩波現代文庫、二〇〇二年九月)という本で、ウクライナ文化のことが出てきたのは、そこに収められていた「カナダのウクライナ人」という文章である。その前後は、これを割愛し、中央の部分のみを紹介する。
 なお、この文章の初出は、一九八七年三月(ナウカ発行の季刊『窓』)であり、ソビエト連邦解体の少し前である。

 太平洋を越えた飛行機が最初に降りるヴァンクーヴァーのウクライナ人口は約三万で、三万六千の派手な中国系に比べれば目立たないが、「ドニプロ」というウクライナ語の専門書店があり、郊外に出ると人目を引く、堂々たるウクライナ教会もある。しかし六万人をこえるトロントになると、そこのウクライナ語書店は、神保町のナウカの倍以上の売場面積をもち、並んでいるのがわずかな英語の本を除いてはすべてがウクライナ語の本である。ロシア語の本は一冊もなかった。ロシア語の本は、そのすぐ近くにある、メジクニーガの出店のようなところで、ソビエト製のギリシャ語など、多数の外国語出版物とともに売られていた。
 それでは、これらのウクライナ本は、本国、すなわちソビエト・ウクライナからの輸入品かと思ったが、手にとってみると、そのすべては、トロントをはじめとするカナダ製であることにびっくりした。トロントで出版された大冊のウ・英辞典のほかに、ひときわ立派に見えたシェフチェンコの全集もあって、これもトロント産であった。店内には文房具や子どもの学習用具、たとえばウクライナ語のアーズブカ〔ABC〕をおぼえさせるための木製の文字板、それに民芸的な日用品があった。私は、かさばらないからと買ってきて、毎日重宝している、食卓用のランチ・マットには愛らしいウクライナの装飾モチーフが配されている。これにもトロント製である旨印刷してある。要するに、カナダ・ウクライナ人はこうした文化商品をソビエト・ウクライナに依存せずに自給しているのみならず、その製品の質は、もしかしてソビエト・ウクライナ製より優れているかもしれないのである。これは、中国系住民が、かれらの書籍、レコード、カセットなどを、台湾、ホンコン、人民共和国など、海外各地の製品にあおいでいるのとはちがう。中国系はウクライナ人のほぼ五分の一、十二万人という比較的少数であることにもよるが、何といっても、本国との関係によるのであろう。それにしても、自前のカナダ・シェフチェンコを、別あつらえに製造する力には敬意を表せざるを得ない。
 公共図書館の書架には多数のウクライナ語図書が並んで読まれている。こうしたウクライナ文化の存在を底から支えているのは、ほとんどすべての大学にある、ウクライナ研究部門であって、ウクライナ出身者がたずさわっている。カナダ政府は、各地からの出身の移民の能力をぬけ目なく利用し、多彩な外国研究を展開していると言えるだろう。いな、それを「外国研究」と呼ぶのは日本人のひが目であって、じつは、ウクライナ人も重要な構成部分をなすところの、カナダという、自国の研究なのである。
 ウクライナ語が日常的に話される共同体があれば、そこはウクライナたという考え方をとれば、ソビエト・ウクライナと並んでカナダ・ウクライナがあるということになる。言語的環境のちがいを言えば、前者はロシア語の圧力にあえいでおり、後者は英語に侵されている。どちらが母語の維持に適しているかといえば答えはそう簡単ではない。
 トロントの書店の店主は六年前、ウクライナを脱出してやってきたという。あそこで本屋をやって行くのは大変なことだった。売りたい本を置けば逮捕されるしね。ここは自由に仕事できるだけでもいいよと、ロシア語で話してから、チュルノブイリに象徴されるウクライナの不運について一くさり語った。

 文中、「シェフチェンコ」とは、ウクライナの詩人タラス・シェフチェンコ(一九一四~一八六一)のことである。なお、ウクライナの首都キエフにあるキエフ大学の正式名は、「タラス・シェフチェンコ記念キエフ国立大学」だという(ウィキペディア「タラス・シェフチェンコ」)。

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