礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

吉川武時は研究の進め方を鈴木・高橋から受けついだ

2022-03-12 01:27:02 | コラムと名言

◎吉川武時は研究の進め方を鈴木・高橋から受けついだ

 金田一春彦編『日本語動詞のアスペクト』から、高橋太郎執筆「解説 日本語動詞のアスペクト研究小史」を紹介している。本日は、その五回目で、〝高橋太郎1969「すがたともくろみ」〟の項、および〝吉川武時1973 (1971)「現代日本語動詞のアスペクトの研究」〟の項を紹介する。
 
 高橋太郎1969「すがたともくろみ」
 高橋太郎1969「すがたともくろみ」は,「にっぽんご 4の上」(1968)をおしえる教師に対する講座のテキストであるので,かんがえかたや用語は,「にっぽんご 4の上」のままうけついでいる。高橋〔太郎〕1969は,鈴木〔重幸〕1957・1958――「文法教育」(1963)――「にっぽんご 4の上」(1968)という過程で,カテゴリーとしてしだいに明確に位置づけられてきた言語学研究会のアスペクト理論を多量のデータによって実証的にうらづけたという意味がある。
 高橋1969において,「している」の結果の状態をあらわす用法の「状態」というのは「主体の状態」であることがあきらかにされ,「しておく」のアスペクト的な性格ともくろみ的な性格とがふりわけられ,また,各すがた動詞の用法の細部がいろいろとみいだされた。

 吉川武時1973 (1971)「現代日本語動詞のアスペクトの研究」
 吉川武時1973は,吉川が1971年にMonash大学の修士論文として提出したままのすがたで,1973年に同大学の紀要にのせられたものである。吉川1973は,アスペクト動詞「している」「してくる,していく」「してしまう」「してある」「しておく」の,それぞれのもつ,いくつかの意味と,その意味を実現する条件を大量のデータによってくわしく記述し,あわせて,そのそれぞれの形式における意味の実現のしかたから,動詞の分類をこころみた。
 吉川は,アスペクトの概念をまず佐久間〔鼎〕,金田一〔春彦〕にもとめ,そこから出発するが,研究のすすめかたは,鈴木――高橋からうけついだ帰納的な方法をとる。吉川は「Ⅰ 問題と方法」のなかで,
 《……その前に,アスペクトをあらわす個々の形式の意味を明らかにすることが必要である。なぜならそれをする前に,一般的概念を完全に決めてしまうことは,主観的であり,それにしばられることによって,研究の範囲をせばめ,また研究をかたよった方向に進めてしまうことになりがちであるからである。》
とのべているが,これは,鈴木1957が,
 《一般的な規定はいますぐにはできないし,すべきではない。》
といっているのと共通する。こうして,吉川は徹底して実証的な方法をとったが,時問の制約から「しはじめる」「しおわる」のような複合動詞をしらべるにいたらず,そのため,「全体的な考察がのこっている」とかかざるをえなかった。
 この点で吉川1973は未完成だといえるが,「して」と補助動詞のくみあわさったアスペクト動詞に関しては,大量のデータによって細部にいたるまで観察し,ひじょうにおおくの現象の発見に成功した。吉川の見かたのこまかさと用例のゆたかさは,この論文に,今後の研究のための資料としての性格をもそなえさせているといえるだろう。
 吉川の方法は,「Ⅰ 問題と方法」の⒜~⒡にのべられているが,他のカテゴリーとの関係をみた点⒝,意味のきまる条件をレベルわけしている点⒟などは,有効にはたらいている。さきに,藤井〔正〕1966のところでモデル例文の構成要素にふれたが,吉川の「意味のきまる要因」は,それよりずっとゆたかであり,これをもう一度あらいなおして,レベルごとに整理すれば,意味の実現をささえる形式の問題として,研究方法論に寄与することになるだろう。
 吉川1973における動詞の分類は,アスペクトの観点からのみなされたもので,この点では,金田一1950や栗原〔宜子〕1967がほかのいろんな形式にもふれているのよりせまいが,藤井1966が「している」の観点だけからわけているのよりはひろい。たとえば,吉川の「変化動詞」は,「してくる」「していく」の用法の考察によってみつけられたものである。【後略】

 吉川武時の項に「栗原1967」とあるのは、日本語教師連盟の機関誌『たより』の29号・30号に載った栗原宜子「口語動詞の分類について」を指す。

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