礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

そつちを立てればこつちが立たずよ(サダニイ)

2022-03-15 01:48:50 | コラムと名言

◎そつちを立てればこつちが立たずよ(サダニイ)

 必要があって、きだ みのるの『気違ひ部落周游紀行』(吾妻書房、一九四八年四月)を読み直してみた。やはり面白い。そして、文章が良い。
 この本の面白さの秘密は、「会話」にある。著者は、一癖も二癖もある住民たちを、その「会話」によって描き分けている。こういう作品は、それまでなかったし、その後もあらわれていない。
 同書の「24 部落の英雄若干の素描の試み」から、その一部分を引いてみよう。

 英雄サダニイは、部落ではじぐまぐれの標本のやうに云はれ、その人生の伴侶であるところの悍馬の如きおこん姐さんも屡々この語でわが英雄を罵るのであるが、しかし彼女と雖も、サダニイがせせくり仕事のうまいことは認め、機会があればそれを誇ることに楽みを見出してゐる。この英雄は一つの仕事をはじめると、それに熱中する資性を持ち、この熱意は部落の英雄たちやペチャクチャ喋舌りの女衆からじぐまぐれの評を獲得する間歇性〈カンケツセイ〉を持つてゐる。
 例へば今日この英雄は街路に面した庭先の柿の木影に暑さを避けながら、肥柄杓〈コエビシャク〉を作つてゐる。野良への行き帰りのここそこの部落の英雄たちはサダニイの柄杓の出来上るのを眺めながら、その開きの角度、柄〈エ〉のつけ方の勾配、鉋〈カンナ〉のかけ工合などを見て感心してゐる。
 ――さうよな。こんだつたら町じや二十円もしべえな、サダニイ。よく出来とるぢやねえか。
 ――だが、と、も一人の英雄が口を出す。町で売つてゐるなあ、開きがもつと大きいかな。
 ――そこがむつかしいだあよ。とサダニイは仕事をつづけながら振り向きもせずに答へる。口を広くすりや畑で撒くのにやええが肥え樽の周りが汚れるしよ、狭くし過ぎりや撤 くのに難儀だあね。そつちを立てればこつちが立たずよ。大体こんなところでよかんべえやな。
 さう云つてサダニイは立ち上る。そして柄を握つてみて、肥〈コエ〉を汲む姿勢、畑にかける動作をやつてみて、やや満足気に、
 ――いや、まあこんなところだな。
 周りのお百姓さんたちも一人一人出来上つた肥柄杓を手に取り同じやうな動作をくり返す。
 ――これやうめえ工合だぞ、サダニイ。
 ――うん、と、も一人が云ふ、さうよな、俺みたいな背丈の高い男にや勾配がもちつと強いとな。
 その他各人各様の批評をはじめる。

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