礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

祟りがあると思って止めただよ(杉山のお婆)

2022-03-21 03:05:34 | コラムと名言

◎祟りがあると思って止めただよ(杉山のお婆)

 きだ みのるの『気違ひ部落周游紀行』(吾妻書房、一九四八年四月)を紹介している。本日は、その七回目で、「41 穢の観念はなほ現実の一部を支配してゐること」の前半部分を引いてみることにする。

 杉山のお婆〈ババ〉の長男は軍属になつてフィリッピンで土木事業に使はれてゐる。それでお婆はグンダリサマに武運長久を祈りに出掛けたいのだ。グンダリサマは延喜式神名帳にもある名社で、石楯尾〈イワタテオ〉神社のことである。神官軍荼利〈グンダリ〉氏の名でかく呼ばれてゐるのであらう。
 今日では武運長久を祈れば、験〈ゲン〉極めてあらたかなる神とされてゐる。このグングリサマは村の沖の峯を越えて峰伝ひに行くと四時間ほどの道だ。だが道をよく知らないお婆は一人で行く気にはなれない。
 この間町へ行つて戻りのバスを待つてゐるとき村長の細君と一緒になつた。バスは一時間毎〈ゴト〉、待つ間は退屈なものだ。そこでお婆は細君と話を交【かは】し、交【かは】してゐるうちに息子を北支に送つてゐる村長の細君が二三日中に同じくグンダリサマに願掛けに行くといふことが解つた。
 ――ではわつしもお伴させちやおくんなさるめえか。
 ――いいとも、お婆さん。心配なのは一つことだよ。行くときには知らしてあげるから一緒に行きませう。私の方は他に三人一緒に行くのよ。
 村長の細君は親切だ。村ではどうも女の方か偉いやうである。シンサンのお袋にしても村長の細君にしても、ジロサンのお嫁さんにしても。で杉山のお婆は一緖に行くことにした。
 東京から帰つて私が村長のところに先づ立ち寄ると、村長の細君から、明後日〈アサッテ〉ダングリサマに行くから七時のバスに乗つて上に行くよう、杉婆さんに伝へてくれと依頼された。で部落に帰つて杉婆にその旨を伝へた。
 一日経つて村長の細君がグングリサマに行く日、里に降りてみると杉山のお婆はサダニイの囲炉裡に居る。
 ――グンダリサマには村長とこでは行かなかつたのかね。
 ――いいえ。村長さんのお上さんたちは行つたよ。おらあね、息子の仲人をした啓さんがよ。立川で入院してゐたが、一昨日なくなつてね。それにその前には嫁の親類でもお葬ひがあつたらう。だからよく考へて、あらたかなグンダリサマに行つちや、却つて祟り〈タタリ〉があるかもしれないと思つて止めただよ。一緒に行つた衆にまで何かのお咎めがあつちや申し訳ないからさ。行くにしても一人で行かうと思つてよ。

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