◎アスペクトの観点から国語動詞を四つに分類
昨日は、『日本語動詞のアスペクト』から、金田一春彦の論文「国語動詞の一分類」の「はしがき」を紹介した。本日は、同論文の第一章の全文を紹介してみたい。
ヨコ組みの原文には、ところどころ、下にナミ線が引かれていた。以下では、普通の下線で代用した。
第一章 国語動詞に於ける四類型の存在
国語動詞の分類としては,現在,自動詞と他動詞とに分ける方法,意志動詞と無意志動詞とに分ける方法,さては独立動詞と補助動詞とに分ける方法,完全動詞と不完全動詞とに分ける方法などが行われているが,ここには従来あまり深く突込んで考察されたことのない一つの分類について考察を進めて見たい。これは,動詞が動作・作用を表わすとするならば,「時間的に見た動作・作用の種類による分類」と言いたいもので,強いて名称を附けるならば,「アスペクトの観点から観た国語動詞の分類」と言うべきものかと思う。ただしこの名称の適否については識者の教示を乞うこととする。
さて,今,この観点に立つと,国語動詞はその中に四つの類型を立てることが出来る。
第一種の動詞は,「動作・作用を表わす」と言うよりも寧ろ「状態を表わす」と言うべき動詞で,通常,時間を超越した観念を表わす動詞である。例えば,「机がある」「我が輩は猫である」の「ある」,「英語の会話が出来る」の「出来る」などがこれに属する。一般の動詞は下に「――ている」をつけていわゆる現在の状態を表わすものであるが,この種の動詞は「――ている」をつけることがないのを特色とする。即ち,動詞とは言うものの動詞らしからぬ,形容詞に近い動詞であって,過去の学者の中には鈴木朖〈アキラ〉(「言語四種論」)のごとく形容詞の中に入れたひともあった。これを状態動詞と呼ぼう。
第二種の動詞は,明瞭に動作・作用を表わす動詞であるが,但しその動作・作用は,ある時間内続いて行われる種類のものであるような動詞である。「本を読む」の「読む」,「字を書く」の「書く」などがこれに属する。「読む」「書く」が動作を表わすことは言うまでもないが,それらの動作は五分間とか十分間とか,或いは一時間とか二時間とか,ある時間内続くのを常とする動作である。この点が次に述べる第三種の動詞とは異る点である。此等の動詞は「――ている」をつけることが出来,若しつければ,その動作が進行中であること,即ち,その動作が一部行われて,まだ残りがあることを表わす。此等を「継続動詞」と呼ぼう。自然作用を表わす動詞のうちの,「雨が降る」,「風が吹く」などもこれに入り,普通,動詞として思い浮べる動詞は多くこの類〈タグイ〉の中に集っている。
第三種の動詞は第二種の動詞と同じく動作・作用を表わす動詞であるが,その動作・作用は瞬間に終ってしまう動作・作用である動詞である。例えば,「人が死ぬ」の「死ぬ」,「電燈が点く」の「点く」などがこれに属する。「死ぬ」は人が息を引取る瞬間を言うので,息を引取る瞬間に「死ぬ」が初まり,途端に「死ぬ」は終る。「うちの親爺は中風を七年患って死んだ」と言う場合にも,七年間はまだ「死ぬ」という現象は初まっていない。「死に初めている」とは言わない。七年間の最後の一瞬に「死ぬ」が初まり,同時に終るのである。「(電燈が)点く」が瞬間の作用を表わすことは言うまでもなかろう。この種の動詞は「――ている最中だ」と言うことは出来ない。この種の動詞に「――ている」をつけるとその動作・作用が終ってその結果が残存していることを表わす。此等を「瞬間動詞」と呼ぼう。
動作・作用を表わす動詞の中には,その動作・作用が何時初まって何時終ったのか分らないが,何時の間にか終っていて,「現在――ている最中だ」と言うことの出来ないものがある。「結婚する」「卒業する」などが此である。何時何分に結婚した,と言うことは出来ないが,ある個人は結婚前か結婚後であって,何時間かかって結婚したと言うことはない。此もいろいろな性質から考えると瞬間動詞に入れるのが便利ゆえこの中に入れることとする。
最後に第四種の動詞として挙げたいものは,時間の観念を含まない点で第一種の動詞と似ているが,第一種の動詞が,ある伏態にあることを表わすのに対して,ある状態を帯びることを表わす動詞と言いたいものである。例えば「山が聳えている」の「聳える」がこれである。この種の動詞は,いつも「——ている」の形で状態を表わすのに用い,ただ「聳える」だけの単独の形で動作・作用を表わすために用いることがないのを特色とする。「聳える」の意義は,「(一つの山が他の山に対して)高い状態を帯びる」の意であるが,「帯びる」と言ってしまっては,以前低かったものが新たに高く成るようでまずい。他の山より高い状態にある,それを「いる」と言う概念と,もう一つxと言う概念とに分析して表わした,そのxが「聳える」である。甚だ説明しがたい意義をもつ動詞であるが,皆様には既に分って頂けていることと思います。このような動詞としては,まだ,「あの人は高い鼻をしている」の「する」などがある。これも「――ている」をつけない形は用いられない。この種の動詞は適当な名称が思い浮ばぬゆえ,第四種の動詞と呼ぶこととする。
私は国語の動詞を以上の四種類に分けて見ようと思うのであるが,但しここにお断りしておくことはこのこと全部が私の創案というわけではないことである。即ち,第一の 状態動詞が他の動詞と異っていることは,早く『広日本文典』において認められているところであり,第二の継続動詞と第三の瞬間動詞の対立については,松下大三郎博士『改撰標準日本文法』のp.411) ,佐久間鼎〈カナエ〉博士(『現代日本語の表現と語法』p.320以下),服部四郎先生(『蒙古とその言語』のp.l76)が既に論及しておられるところである。唯,別に第四種の動刹を立てたこと,個々の動詞を四類へ振分けて見たこと,活用形やこれにつく付属辞の類の対立を詳しく吟味したこと,などが私の創案と言えば創案,つまり独断であって,要するに皆様に存分にたたいて頂きたいところである。
この論文のキーワードは、アスペクト(aspect)である。アスペクトの意味については、とりあえず『広辞苑 第七版』の説明の②を引いておこう。――〔言〕相。動詞が表す動作や状態の時間的な局面・様相(例えば開始・終結・継続・反復)。完了形や進行形などの形式や特別の動詞を用いて表現される。