礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

先生、けふの東京行はいけませんぜ(ギダ勇士)

2022-03-19 00:58:47 | コラムと名言

◎先生、けふの東京行はいけませんぜ(ギダ勇士)

 きだ みのるの『気違ひ部落周游紀行』(吾妻書房、一九四八年四月)を紹介している。本日は、その五回目で、「38 英雄たちは足枷を嵌められたとき如何に人間的に歩いてゐるかについて」の前半部分を引いてみよう。

 東京に出ようと寺を下り、ヨシ英雄の家に立ち寄つてみる。父親がずつと前からこの辺に多い高血圧で寝たきりである。私は無医村のこの村で手に入らない薬や注射器を届けてやつたこともあり、今日も容体〈ヨウダイ〉を尋ね、新しい薬が必要になつてゐるかどうか知るためである。部落外れの彼の家に行つてみると、家の内外に部落の男衆女衆〈オトコシ・オンナシ〉が集まつて忙しさうである。昨夜いけなくなつたのださうだ。畳敷【じき】の部屋にはヨシ英雄とその遠近の親族が坐つてゐる。お悔みを述べて出掛けようとすると、棺材の寸法を計つてゐたギダ勇士が呼び止める。
 ――先生、けふの東京行はいけませんぜ。お止めになって戴きたいですよ。知らずに東京へお出になつたといふのなら兎も角、かうして御存知の上は組内【うち】のことですから、わし等〈ラ〉と一緒にやつて下さい。それが部落の定【きま】りですから。
 そこで私は東京行を止めて手伝ひをはじめることになる。
 部落の習慣法に従ふと、お葬ひのときには家人は云はば家を明け渡し、食糧倉の鍵を渡してお客さまになり、組の衆がその家の主人のやうになつて万事を取り行ふのだ。食事万端の世話は女衆が行ひ男衆は湯灌〈ユカン〉から墓【あな】穴掘り、行列の旗作りその他を受け持ち、その日は喪家〈ソウカ〉の仕事に一日をつぷすのである。
 ――だが、先生に何を頼まうか、とサダニイが云ふ。
 ――さうよなあ、とギダサン、棺を担ぐにや背丈【せい】が高くてうまくねえしな。
 ――穴掘りにや慣れれめえしよ。
 洗ひ場で米をといでゐたオコウ姐さんが口を出す。
 ――旗を持つて貰つたらか好んべえや。背丈が高けえから長【なげ】え竿はいらねえやな。
 サダニイの鬚面〈ヒゲヅラ〉がほころびる。
 ――ほんにさうよな。ぢや、それまぢやあ棺桶作りの手伝ひだあ、先生。なあこんなこたあ生れて始めてだんべえ。
 ――さうよ、と私は答える。
 かうして私に始めての経験が始まつた。しかしこの経験を詳述することは、葬儀屋の工場の仕事を詳述するやうなもので、読者に不当な忍耐を強要することであらう。
 ただ次の諸点だけは民俗誌家に適当な解釈を授けて貰ふために記しておかう。
 葬列は庭で三度左廻りにめぐつた後で出発する。若干の民俗学者はこれは魂魄〈コンパク〉に自家を見失はせ、関係を絶つために行ふと解してゐるが、しかしこの解釋は精霊〈ショウリョウ〉迎への概念と矛盾しよう。尤もこの矛盾はこれら二つの事実を異つた信仰系統に結べば解けなくはないにはない。
 葬式後喪家に帰つたとき、臼を描いた紙を貼つた縁の部分に腰をおろし、塩を体にかける。この臼に腰かける動作が何を表はすか明瞭でない。
 その後各自は一先【ひとま】づ自宅に帰り、更に出直してお念仏を行ひ、夜食の振舞ひを受け、これで葬儀は完了する。

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