礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

罵倒するのでなく正説を示していただきたい

2024-11-09 00:06:22 | コラムと名言
◎罵倒するのでなく正説を示していただきたい

 山中襄太『国語語源辞典』(校倉書房、1976)から、「序論」を紹介している。本日は、その三回目。第9項から第12項までは割愛し、第13項から第16項までを紹介する。

9.俗語源説的にできた語もある 【略】
10.コトパは学者が造ったものか 【略】
11.コトパは無智な民衆のもの 【略】
12.民衆の俗語語源意識 【略】

13.罵倒しないで教えてほしい
 民間人の語源説に対して,アカデミックな学者は,俗語源説だとの非難のほかに,インチキだ,コジツケだとの非難も多い。いかにも,多くの中にはそういったものもまじっているであろう。しかし全部がそうだというほどではあるまい。もしコジツケやインチキがあったならば,それを笑殺したり,黙殺したり,罵倒したりするだけでなく,それにかわる正説を示して教えていただきたい。自らは何ら正説を出し得ないでいて,他人の説を罵倒するだけということは,素人ならばとにかく,堂々たる学者としては片手落ちの感がないでもない。罵倒するかわりに,親切に好意を以て教え導いていただきたい。世の尊敬を受けてみえる大先生としての雅量と蘊蓄〈ウンチク〉とを見せていただきたいと,お願いを申しあげるしだいである。
14.語源研究家のさまざま
 さて語源を研究してみえる人の中にも,さまざまあるらしい。江戸時代の国学者の流れを汲んだような,その延長とでもいったような,国語の枠内だけで考えているようなタイプの人もある。また漢字漢学の素養にものをいわせて,漢文古典の古語から云々する人もある。また近代中国語を考慮する人もある。アイヌ語で説こうとする人もある。朝鮮語,満州語,ツングース語,モーコ語など,いわゆるアルタイ系の言語と比較する人もある。さらに東南アジアから南洋方面にかけての言語と比較する人もある。しかしこういった隣接諸語との比較を試みる人はきわめて少なく,多くは国語の枠内だけで考えているようである。
15.国語の枠内には限度がある
 国語の枠内をじゅうぶんに研究調査するということは,まず第一に必要なことではある。しかしそれには限度というものがあって,国語の枠内だけで正当な結論がでるとは限らない。枠内だけではどうにもならないものが,隣接諸語との比較によっていとも簡単に解決される例は,はなはだ多いのである。たとえばタニグク(ヒキガエル)を「谷間ニ棲ミテくくト鳴ケバ云フト云フ(大言海)」くらいの説明しかできないのを,changuk(スマ トラのアチン語),kanguk(インドシナのクメール語),kangko:(タイ語),chankai(マレー半島語)などと比較することによって,それらの語と関連があるらしいことがわかる(熊本県ではタンガクという)。またトカゲを「好ミテ壁間ニ居ル。戸蔭ノ義カト云フ。古ク云ヘルハ今ノ守宮(ヤモリ)ナルガ如シ。然レドモ今ノ蜥蜴(トカゲ),守宮,蠑螈(ヰモリ)ラスべテとかげト云ヘリ(大言海)」というが,マレー語のtakck,ジャワ語のtekek,モン語のkachakなどと比較すれば「戸蔭」の意ではないらしいことが,ほぼ明らかであるようなものである。
16.隣接諸語と比較の必要
 このように,隣接諸語を視野の中に収めて考えると,無理のない自然な語源説明が可能な場合が,はなはだ多い。だから,こういう方面に目を向ける人がだんだんふえてきた。アカデミックな学者の中にも,日本語の語系論の上から,アルタイ語に注目がはらわれてきた。語系論と語源論とは全く別のものだけれども,相かかわる面もないではない。東南アジアから南洋方面にかけての諸語は,素人の学者は早くから注目してきたが,アカデミックな学者も最近おくればせながら注目する人がでてきたことは喜ばしいことである。こういうめずらしい傾向があらわれてきたそもそもの原因動機は,どこにあるかということを考えてみると,皮肉なことにも,こういう学者から軽べつされ罵倒されてきた民間素人の研究家たちの研究の実績そのものが,そうさせたのではないかと思われる。外人の学者でも,北方アルタイ系の言語や,中国古語や,南方系の言語と日本語とを,語系綸的,語源論的にみて研究した人,している人もある。〈6~7ページ〉【以下、次回】

 山中襄太は、『国語語源辞典』の「じんぐう-こうごう【神功皇后】」の項の最後で、「序論」の参照を求めていた(今月6日のコラム参照)。このとき山中が、28ページにおよぶ序論のすべての参照を求めていたのか、それとも、序論のうちの、特にある部分の参照を求めていたのかは、もとより不明である。しかし、もし後者であるとしたら、その「ある部分」とは、本日、紹介した第13項~第16項だったのではないか、という気がしてならない。

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