◎大森実の「下山事件」論(1998)、その紹介の続き
2020年11月2日から5日にかけて、大森実『日本はなぜ戦争に二度負けたか』(中央公論社、1998)から、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅰ」の前半部(230~241ページ)を紹介した。
そのときは、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅰ」の最後の部分を紹介せず、また、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅱ」のほうも紹介しなかった。その理由は単純で、ブログ子が、この間、一貫して、下山総裁「自殺説」を支持してきたからである。下山総裁「他殺説」の紹介は、気が乗らなかったのである。
ところで、ごく最近になって、木田滋夫さんの『下山事件 封印された記憶』(中央公論新社、2024年10月)という本が刊行された。木田さんは、そのなみなみならぬ努力によって、下山事件の真相解明に結びつく資料あるいは証言を発掘された。木田さんの立場は、「他殺説」である。同書の出現によって、下山総裁轢断事件の真相は、「他殺説」に大きく傾く可能性がある。
ということであれば、大森実が、前掲書で下山事件「他殺説」を紹介している部分、すなわち、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅰ」の後半部、そして「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅱ」も、きちんと、紹介しておく必要があろう。
本日は、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅰ」の最後の部分を紹介してみたい。2020年11月5日に紹介したところのあと、一行アキがあって、そのあと次のように続く。
朝日新聞社会部の矢田喜美雄〈ヤダ・キミオ〉記者は、〔1949年〕七月七日、東大法医学教室を訪ね、下山〔定則〕総裁の死体解剖を執刀した桑島直樹〈クワジマ・ナオキ〉博士と接触した。
桑島博士の薦めで、二十冊以上の法医学専門書を読むことにしたが、他殺死体を列車に轢かせて自殺に偽装した事件が、犯罪事件史の中にいくつかあることを知って衝撃を受けた。
東大の解剖責任者、古畑〔種基〕教授が、現場検証を行った東京都の監察医から受けた報告の中に、「轢かれてバラバラに分断されたとき、体内の血はレール上にばら撒かれたのだろう」と報告していた事実を知り、矢田記者は疑義を抱いた。矢田記者の「血の道」追跡捜査は、この疑義から出発した。
彼は古畑教授が、東京地検の協力を得て、死体轢断現場のレール下三個所を、バラスを掘り起こして、枕木下四十センチの土砂を三層に分けて採取、この土砂を国警科学捜査研究所に持ちこんでいた事実を知った。
同研究所の分析結果は、監察医・八十島〔信之助〕医師の報告所見とは全く異なるもので、古畑教授は、採取したレール下の土砂からは血は検出されなかった、としていたことを矢田記者は知った。
矢田記者が追っていくと、古畑教授は次段階捜査として、下り列車が下山死体を引きずったと思われる区域の十個所のバラスを掘り、枕木下五十センチまで深く掘り起こして分析した結果、血液反応がすべてマイナスだったことを知った。
矢田記者が次に抱いた疑問は、監察医の、「死体に死斑が認められなかった」とする報告であった。
古畑教授もそこに注目し、列車に轢断された下山死体の傷口三百五十個所を丹念に調べたが、傷口には生活反応がなかったことを確認していた事実を、矢田記者は知った。
死体に死斑がなく、傷口にも生活反応がなく、しかも枕木下五十センチ掘り下げて採取した土砂からも血液が認められなかったことは、自殺説に繋がる生体轢断ではない、列車に轢断されたときの死体には血がなかったこととなり、誰かが下山総裁を殺して、死体から血を抜いてレール上に横たえて、自殺を偽装したという猟奇じみた疑いが出てきた。
【一行アキ】
麻酔薬を注射されたのではないか、毒物を盛られたのではないか? 東大裁判化学研究室の検査結果が待たれたが、同教室の塚本〔塚元久雄〕助教授の報告は、毒物反応はマイナス、肝臓、肺、胃腸、脳などすべての臓器や血液から、青酸、カルモチン系、ルミナール系、エピパン系の薬物や、金属系薬物の砒素、アンチモン、水銀、4エチール鉛などは検出されなかった。
矢田記者が、桑島博士の研究室で、無残に破損された下山総裁の頭蓋、臓器、皮膚、筋肉の切片標本が、ホルマリンに漬けられて瓶の中で浮いているのを見ていたときだった。桑島博士が、「君、ここだけ生活反応が認められたんだよ」と指さしたのが、下山総裁の、性器の亀頭部の先端であったという。
男性の性器は、軟骨より柔らかい物体であるが、このように柔らかい軟体が生活反応を見せていた、ということは下山総裁が想像もつかない強烈な殴打を受けたことになる、と矢田記者は桑島博士から説明を受けた。
顕微鏡で標本を硯いてみると、同博士が発見したという亀頭部先端の、紫色の銅貨大の変色部分は、矢田記者の眼にもはっきりそれと分かった。
矢田記者の著書『謀殺下山事件』を読んで、この叙述を知った瞬間、私は思わず、「あッ。それはアレじゃないか!」と叫んで絶句してしまった。
それは、ブラック・ジャックと呼ばれる凶器で、アメリカの対敵情報部の工作員だけが使う、帯状の革の中に鉛を入れた殴打凶器に違いない、と私の頭の中に閃いたからだった。
下山事件より二年半遅れ(五一年十二月)て発生した対敵情報部の特殊工作隊・キャノン機関が、中国の重慶の戴笠〈タイ・リュウ〉スパイ機関で、対日宣撫工作に活躍して帰国してきた鹿地亘【かじわたる】を、湘南海岸でハイジャックした事件を追ったことがある私は、散歩中の鹿地亘が、「堅い鈍器様のもので一撃され、気を失ったところをキャノン機関の自動車に連れこまれました」と語ったことが思い出されたのである。
【一行アキ】
矢田記者は、東鉄〔東京鉄道管理局〕管内・日暮里駅の田端操車場を六日午前零時十分に発った平〈タイラ〉行きの貨物列車、D51651機関車に轢かれた下山総裁のハネ飛ばされた両足の、どこにも生活反応がなかったのに、この亀頭部先端にだけなぜ生活反応が発見されたのか? 強い疑問を抱いて、頭を抱えこんでしまったという。
毎日新聞の平〔正一〕デスクとは全く相反する方向、まるで交わることがない二本のレール上を、二つの大新聞の捜査班が互いに激しい闘志を燃やしながら驀進していったのである。
その結果は、いずれに凱歌が上がろうとも、二人は真摯で厳粛なるジャーナリストであったと思う。
サリン事件に関連して、坂本〔堤〕弁護士のインタビュー・テープを教団側に渡してしまったTBSの没倫理や、アメリカのO・J・シンプンン裁判で、シンプソンを強引に犯人に仕立て上げるため、検察と警察当局が意図的に流してくるガセネタを、いかにも自分の捜査結果として電波に乗せていたアメリカ・メディアの無責任さにくらべると、この時代のニッポンのジャーナリストは命懸けだったんだ、と私は思う。
平さんが言った。
「帝銀事件に続くこの下山事件だ。ある新入記者の花嫁さんの親御さんが面会に来てね。娘の旦那は新婚以来、一回も御帰宅にならん、娘が気に入らないのか、副部長さん聞いてやって下さいだ。あの男、一晩くらい家に帰れと言っても、朝駆け夜討ちをやめないんだ」
平さんはコップ酒を豪快に空けた。〈241~245ページ〉
2020年11月2日から5日にかけて、大森実『日本はなぜ戦争に二度負けたか』(中央公論社、1998)から、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅰ」の前半部(230~241ページ)を紹介した。
そのときは、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅰ」の最後の部分を紹介せず、また、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅱ」のほうも紹介しなかった。その理由は単純で、ブログ子が、この間、一貫して、下山総裁「自殺説」を支持してきたからである。下山総裁「他殺説」の紹介は、気が乗らなかったのである。
ところで、ごく最近になって、木田滋夫さんの『下山事件 封印された記憶』(中央公論新社、2024年10月)という本が刊行された。木田さんは、そのなみなみならぬ努力によって、下山事件の真相解明に結びつく資料あるいは証言を発掘された。木田さんの立場は、「他殺説」である。同書の出現によって、下山総裁轢断事件の真相は、「他殺説」に大きく傾く可能性がある。
ということであれば、大森実が、前掲書で下山事件「他殺説」を紹介している部分、すなわち、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅰ」の後半部、そして「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅱ」も、きちんと、紹介しておく必要があろう。
本日は、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅰ」の最後の部分を紹介してみたい。2020年11月5日に紹介したところのあと、一行アキがあって、そのあと次のように続く。
朝日新聞社会部の矢田喜美雄〈ヤダ・キミオ〉記者は、〔1949年〕七月七日、東大法医学教室を訪ね、下山〔定則〕総裁の死体解剖を執刀した桑島直樹〈クワジマ・ナオキ〉博士と接触した。
桑島博士の薦めで、二十冊以上の法医学専門書を読むことにしたが、他殺死体を列車に轢かせて自殺に偽装した事件が、犯罪事件史の中にいくつかあることを知って衝撃を受けた。
東大の解剖責任者、古畑〔種基〕教授が、現場検証を行った東京都の監察医から受けた報告の中に、「轢かれてバラバラに分断されたとき、体内の血はレール上にばら撒かれたのだろう」と報告していた事実を知り、矢田記者は疑義を抱いた。矢田記者の「血の道」追跡捜査は、この疑義から出発した。
彼は古畑教授が、東京地検の協力を得て、死体轢断現場のレール下三個所を、バラスを掘り起こして、枕木下四十センチの土砂を三層に分けて採取、この土砂を国警科学捜査研究所に持ちこんでいた事実を知った。
同研究所の分析結果は、監察医・八十島〔信之助〕医師の報告所見とは全く異なるもので、古畑教授は、採取したレール下の土砂からは血は検出されなかった、としていたことを矢田記者は知った。
矢田記者が追っていくと、古畑教授は次段階捜査として、下り列車が下山死体を引きずったと思われる区域の十個所のバラスを掘り、枕木下五十センチまで深く掘り起こして分析した結果、血液反応がすべてマイナスだったことを知った。
矢田記者が次に抱いた疑問は、監察医の、「死体に死斑が認められなかった」とする報告であった。
古畑教授もそこに注目し、列車に轢断された下山死体の傷口三百五十個所を丹念に調べたが、傷口には生活反応がなかったことを確認していた事実を、矢田記者は知った。
死体に死斑がなく、傷口にも生活反応がなく、しかも枕木下五十センチ掘り下げて採取した土砂からも血液が認められなかったことは、自殺説に繋がる生体轢断ではない、列車に轢断されたときの死体には血がなかったこととなり、誰かが下山総裁を殺して、死体から血を抜いてレール上に横たえて、自殺を偽装したという猟奇じみた疑いが出てきた。
【一行アキ】
麻酔薬を注射されたのではないか、毒物を盛られたのではないか? 東大裁判化学研究室の検査結果が待たれたが、同教室の塚本〔塚元久雄〕助教授の報告は、毒物反応はマイナス、肝臓、肺、胃腸、脳などすべての臓器や血液から、青酸、カルモチン系、ルミナール系、エピパン系の薬物や、金属系薬物の砒素、アンチモン、水銀、4エチール鉛などは検出されなかった。
矢田記者が、桑島博士の研究室で、無残に破損された下山総裁の頭蓋、臓器、皮膚、筋肉の切片標本が、ホルマリンに漬けられて瓶の中で浮いているのを見ていたときだった。桑島博士が、「君、ここだけ生活反応が認められたんだよ」と指さしたのが、下山総裁の、性器の亀頭部の先端であったという。
男性の性器は、軟骨より柔らかい物体であるが、このように柔らかい軟体が生活反応を見せていた、ということは下山総裁が想像もつかない強烈な殴打を受けたことになる、と矢田記者は桑島博士から説明を受けた。
顕微鏡で標本を硯いてみると、同博士が発見したという亀頭部先端の、紫色の銅貨大の変色部分は、矢田記者の眼にもはっきりそれと分かった。
矢田記者の著書『謀殺下山事件』を読んで、この叙述を知った瞬間、私は思わず、「あッ。それはアレじゃないか!」と叫んで絶句してしまった。
それは、ブラック・ジャックと呼ばれる凶器で、アメリカの対敵情報部の工作員だけが使う、帯状の革の中に鉛を入れた殴打凶器に違いない、と私の頭の中に閃いたからだった。
下山事件より二年半遅れ(五一年十二月)て発生した対敵情報部の特殊工作隊・キャノン機関が、中国の重慶の戴笠〈タイ・リュウ〉スパイ機関で、対日宣撫工作に活躍して帰国してきた鹿地亘【かじわたる】を、湘南海岸でハイジャックした事件を追ったことがある私は、散歩中の鹿地亘が、「堅い鈍器様のもので一撃され、気を失ったところをキャノン機関の自動車に連れこまれました」と語ったことが思い出されたのである。
【一行アキ】
矢田記者は、東鉄〔東京鉄道管理局〕管内・日暮里駅の田端操車場を六日午前零時十分に発った平〈タイラ〉行きの貨物列車、D51651機関車に轢かれた下山総裁のハネ飛ばされた両足の、どこにも生活反応がなかったのに、この亀頭部先端にだけなぜ生活反応が発見されたのか? 強い疑問を抱いて、頭を抱えこんでしまったという。
毎日新聞の平〔正一〕デスクとは全く相反する方向、まるで交わることがない二本のレール上を、二つの大新聞の捜査班が互いに激しい闘志を燃やしながら驀進していったのである。
その結果は、いずれに凱歌が上がろうとも、二人は真摯で厳粛なるジャーナリストであったと思う。
サリン事件に関連して、坂本〔堤〕弁護士のインタビュー・テープを教団側に渡してしまったTBSの没倫理や、アメリカのO・J・シンプンン裁判で、シンプソンを強引に犯人に仕立て上げるため、検察と警察当局が意図的に流してくるガセネタを、いかにも自分の捜査結果として電波に乗せていたアメリカ・メディアの無責任さにくらべると、この時代のニッポンのジャーナリストは命懸けだったんだ、と私は思う。
平さんが言った。
「帝銀事件に続くこの下山事件だ。ある新入記者の花嫁さんの親御さんが面会に来てね。娘の旦那は新婚以来、一回も御帰宅にならん、娘が気に入らないのか、副部長さん聞いてやって下さいだ。あの男、一晩くらい家に帰れと言っても、朝駆け夜討ちをやめないんだ」
平さんはコップ酒を豪快に空けた。〈241~245ページ〉
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