礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ドリームC70は「月光仮面」にふさわしく神社仏閣型

2020-07-16 00:57:11 | コラムと名言

◎ドリームC70は「月光仮面」にふさわしく神社仏閣型

 樋口尚文著『「月光仮面」を創った男たち』(平凡社新書、二〇〇八)の紹介を続ける。同書の一四七~一四八ページに、次のような記述があった。

 月光仮面の操るバイクは、ホンダのドリームC70という一九五七年発売の人気商品を白く塗装したものである。ドリームC70は、スポーツモデルではなく、ビジネスユースにもツーリングにも使える間口の広いタイプではあったが、ホンダ初の二気筒エンジンを搭載したきわめて画期的なモデルだった。このオールアルミ製の空冷四ストローク並列二気筒エンジンは、当時の二五〇ccクラスでは群を抜く一八馬力を発揮、時速一三〇キロの最高速度を誇った。
 しかし、この高速性能に加えて、ドリームC70に特異なオリジナリティを与えていたのは、そのデザインである。ボディの各パーツをあえて角ばった個性的なデザインにして、それは「神社仏閣式」デザインと綽名【あだな】された。その頃の日本製バイクがおおかた欧米のバイクのデザインを模していたのに対し、本田技研工業社長の本田宗一郎はジャパン・オリジナルの和心のあるデザインを模索し、この「神社仏閣」スタイルが生まれたという。
 高回転出力エンジンと和風のデザインで欧米商品に対して主張したドリームC70は、そう考えると『スーパーマン』的なアメコミ・ヒーローに対して、『鞍馬天狗』を原点に『少年倶楽部』の大陸風味で開発したアジアン・ヒーローの始祖「月光仮面」の乗り物としては、期せずして絶妙にめざすコンセプトが合致したものであったわけである。
 ちなみに、ホンダドリームC70のエンジンをベースにして一九六一年に発売されたホンダドリームCB72スーパースポーツは、漆黒の造形美と驚異的な出力で世界的な人気を呼び、一躍伝説のバイクとなった。

 アジアン・ヒーローの始祖「月光仮面」の乗り物として、神社仏閣スタイルのホンダ・ドリームC70がふさわしかったという指摘は鋭い。この点は、この本を読むまで気づかなかった。それにしても、ホンダ・ドリームC70の発売が一九五七年で、『月光仮面』の放映開始が翌一九五八年というのは、何という偶然だろうか。
 上記で、樋口尚文氏が、「ドリームC70は、スポーツモデルではなく、ビジネスユースにもツーリングにも使える間口の広いタイプ」と言っているのは、同バイクの座席が、もともとは、単座の鞍型サドルで、その後方に荷台があることを指しているのであろう。もっとも、その荷台の上に、オプションのタンデム・シートを取り付ければ、二人乗りが可能である。
 なお、樋口氏の記述のうち、「空冷四ストローク並列二気筒エンジン」という表現については、少し不満がある。間違いではないが、できれば、「空冷OHC四ストローク並列二気筒エンジン」としてほしかった。ちなみに、当時のメグロ・ジュニア号250ccは、「空冷四ストロークOHV単気筒エンジン」であり、また、一九五六年発売のスズキ・コレダ号250TTは、「空冷二ストローク並列二気筒エンジン」であった。
 ちなみに、「一九六一年に発売されたホンダドリームCB72スーパースポーツ」は、パイプフレーム、パイプハンドル、丸型ヘッドライトというデザインであり、「神社仏閣」の面影は、完全に消えていた。
『「月光仮面」を創った男たち』については、紹介したいところが、まだ、たくさん残っているが、明日は話題を変える。

*このブログの人気記事 2020・7・16(なぜか1位に変体仮名)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 憎むな、殺すな、真贋糺すべ... | トップ | 日の本は、馬鹿にひょっとこ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事