◎大野説が見直される時期がくるかもしれない
大野晋の「タミル語説」への評価について調べていたところ、ネット上に、長田俊樹さんの〝「日本語=タミル語同系説」を検証する――大野晋『日本語の起源 新版』をめぐって〟(『日本研究』第13号、1996年3月)という論文を見つけた。本日は、この論文の末尾を紹介してみたい。
長田俊樹(おさだ・としき)さんは言語学者で、総合地球環境学研究所名誉教授。
以上、言語学にはじまって、自然人類学、考古学、そして民族学のそれぞれの立場から大野説を検討したが、「タミル人渡来説」、あるいは「タミル語伝播説」は完全に否定できたと筆者自身は確信している。ここで強調しておきたいのは、これまでの検証からいえるのはあくまでも「タミル語伝播説」の否定であって、タミル語と日本語との広い意味での比較研究への否定を意味するのではないということである。
じつは最近、比較言語学ではかなり大きな語族と語族との間の系統関係が新しく提唱されたり、古い説が見直されてきている。たとえば、中国語とオーストロネシア語との系統関係が新たに提唱されたり(46)、オーストロアジア語族とオーストロネシア語族との系統関係を提唱したシュミット神父によるオーストリック語族説の見直しが真剣に論議されるようになったり(47)、これまでの音韻対応だけではなかなか証明できない関係について積極的に取り組む機運が生まれてきている。とくに、オーストロアジア語族とオーストロネシア語族の系統関係は従来の音韻対応による証明ではなく、接中辞などの形態法によって証明を試みるなど(48)、比較言語学にとっても新しい研究法が提唱されているのである。こうした文脈の中で、ドラヴィダ語と日本語との比較研究が押し進められるとすれば非常に大きな意義をもつことはまちがいない。またそうした位置づけで、将来大野説が見直される時期がくるかもしれない。そのためにも日本語とタミル語との比較だけでなく、ドラヴィダ語を視野にいれ、ウラル・アルタイ語族ばかりでなく、シナ・チベット語族から、オーストロネシア語族、そしてオーストロアジア語族にいたるまで、東アジアの言語史全部に目を配りながら、旧版の『日本語の起源』(1957)の網羅的な態度を堅持しつつ御研究を続けられるならば、かならず大野教授の御研究がむくわれる日がくると信じている„
(46) Sagart(1993,1994)を参照。
(47) Shorto(1976),Diffloth(1990,1994),Hayes(1992b)など。
(48) Reid(1994),また土田〔滋〕(1989,1990)も系統関係の指標として接中辞をあげ、リード教授と同様の意見を述べている。
長田俊樹さんが、この論文を書いた時点で、大野晋の『日本語の形成』(岩波書店、2000)は、刊行されていない。しかし、大野の『日本語の形成』を参照したとしても、「タミル語伝播説」を否定する長田さんの立場に変化はなかったであろう。
しかし長田さんは、ここで、「将来大野説が見直される時期がくるかもしれない」と述べている。注目すべき発言である。ただし、「東アジアの言語史全部に目を配りながら」、日本語の起源を解明するような研究は、当分、あらわれそうもない。
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