◎『安重根事件公判速記録』再版における「緒言」
昨日のコラムで、満洲日日新聞社が編集・発行した『安重根事件公判速記録』(一九一〇年三月二八日)の緒言を紹介した。
この速記録は、従来、なかなか閲覧が難しかったが、一昨年(二〇一一)、龍溪書舎から、「韓国併合史研究資料96」として復刻版が刊行されたのは朗報であった。本日図書館で、その復刻版を手に取ってみると、これは、一九一〇年(明治四三)五月一三日発行の「再版」を底本としたものであった。
この「再版」では、初版における誤植が訂正されているほか、「緒言」に記述の追加がおこなわれ、三ページだったものが四ページに増えている。
以下、参考までに、再版における「緒言」を紹介しておく。改行は原文の通り。太字になっている部分は、初版と異なっている箇所、または、初版に追加された記述であることを示す。この再版「緒言」についてのコメントは次回。
緒 言
明治四十二年十月廿六日午前九時伊藤公一行は哈爾賓駅に到着したり
是より曩伊藤公爵は韓国の事粗定まりたるを以て韓国統監の職を辞し
て枢密院の閑職に就きしが国家は伊藤公を一日も閑地に置く能はず幾
何もなくして満洲視察の途に上ることゝなれり此行政治的意味の有無
に関しては茲に叙述の限りに非ず斯くて月の十八日には在満官民の盛
大なる歓迎の裏に大連に上陸し越えて廿日旅順に至り日露戦蹟を弔ひ
沿線巡視に向へるものなり乃ち伊藤公は車中に於て露国大蔵大臣ココ
フツオフ氏と二十分に渉る会見をなし尋で客車を下り露国儀仗兵一個
中隊を閲兵しつゝ邦人の一団に近づき更に数歩を引返さんとする一刹
那突如として躍り出でたる一韓人あり矢庭に公爵目蒐けて拳銃を放射
せるが銃丸三発は公爵の腹部に命中せり斯くて重傷を負へる公爵は直
ちに客車中に運ばれ随従せる小山医師始め露国医師も応急手当を施し
皮下注射を施したるも其効なく間もなく不帰の客となられしぞ悲しき
此騒動の際兇漢の放てる弾丸は猶随員森秘書官田中満鉄理事及川上哈
爾賓総領事を負傷せしめ兇漢は直ちに露国官憲の為めに逮捕せられた
り伊藤公の遺骸は十時四十分大連に向つて南下し廿八日午前十一時三
十分軍艦秋津洲に乗じて十一月一日横須賀に到着同日東京に入れり此
報一度公にせらるゝや四千万同胞の悲嘆は勿論世界の驚愕する処とな
り各国よりの弔電引も切らず至尊は特に国葬を仰せ出され四日葬儀は
悲雨蕭々の裏に執行せられたり会葬者四十万前古未曾有と称せらる以
て公の遺徳を見るべし
一面日本官憲は連累捜査に全力を尽し兇行翌日には関東都督府法院溝
淵検察官は急遽哈爾賓に出張し韓国よりは明石少将来満し都督府佐藤
警視総長平石法院長等と協議画策最も勉めたり此の結果として連累嫌
疑七名を得正犯者安重根と共に三日旅順に護送同地監獄に収容せしが
中四名は審理の結果放免となり禹連俊曹道先劉東夏の三名を公判に附
することゝなれり翌四十三年二月七日より四日間旅順地方法院にて公
判あり其結果重根は三月二十六日午前十時死刑を執行せられたり
右の公判は実に世界の注目を惹きたる所にして判官の訊問被告の陳述
検察官の諭告並に弁護士の弁論は独り中外衆庶の聞かんと欲する所な
るのみならず又遠く後世に遺すべき史料なるを以て吾社は公判中特に
速記記者を法院に派して裁判の顛末を厳密に速記し之を満洲日日新聞
紙上に掲げたりしが江湖の希望に依り更に纏めて一巻の冊子と為し特
に判官検察官及び弁護士の校閲を経之を公刊せり
然るに初版八千部は出版後旬日を出でずして売切と為り而も大方の注
文は底止する所を知らざる状況なるを以て更に改版して前記諸士の再
閲を経故公の二龍山上吊訪の際並に哈爾賓遭難五分前に撮影したる肖
像を加へ茲に五千部を刊行することゝ為れり蓋し此書や其実質に於て
は一公判筆記録に過ぎずと雖も日清、日露の二大戦役は是に依りて一
種の結論に達せるものと云ふべく幸に之を忠誠なる国民の書斎に薦め
併せて天下後世に伝へ得るは吾社の私かに光栄する所なり
明治四十三年五月 満洲日日新聞社