◎石田梅岩の「商人道」について
先日、某古書店の「二冊で百円」の棚で、文部省教学局編纂の『心学精粋』(日本精神叢書九、内閣印刷局、一九三〇)を入手した。文庫版で本文一二〇ページの貧弱な本だが、執筆者は、石門心学〈セキモンシンガク〉の研究においては第一人者の石川謙〈ケン〉である。
この「日本精神叢書」であるが、執筆者とテーマによっては、明らかに「神憑って」しまっているものがある。しかし、この『心学精粋』については、そういうことはない。石田梅岩〈バイガン〉の『都鄙問答〈トヒモンドウ〉』を引きながら、まさに石門心学のエッセンスを紹介している好著である。
特に感心したのは、石田梅岩の思想の本質を「家職道」として捉え、特に石田梅岩を「商人道の提唱者」と位置づけているところにある。同書の末尾に近い一一〇ページにおいて、石川謙は、次のように言う。
家職道定立の論拠 世に梅岩ほど家職道を力説し詳説したものは、数多くはあるまい。彼以前に山鹿素行があつて武士道を鼓吹し、彼以後に二宮尊徳、大原幽学が出でて農業道を力説した。これは比較して梅岩を以て商人道の提唱者と見ることも、必ずしも当を失したものと貶し去ることは出来ぬ。誠に梅岩は、商人道に関して所説最も詳細を極め、力説優れて光彩を放つた。が、それよりも我等の指摘したいのは、家職道のありて存する所以の原理を明にし、斯の道の重要性を主張し、且自ら多く家職道を具体的に語つたことである。【以下略】
江戸時代においては、「商業」は卑しい職業とされ、「商人」の社会的地位が低かった。そうした中で、梅岩が、「商人道」も、「士道」や「農業道」とならぶ、立派な「家職道」であると主張したのは、まさに画期的なことであった。
かの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の著者マックス・ウェーバーにならって言えば、日本における資本主義のエートスを、最初に「思想」として表現したのは、石田梅岩だったのではないだろうか。【この話、続く】