礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

陸軍特殊用語の簡易化(1940)

2014-01-26 05:48:05 | 日記

◎陸軍特殊用語の簡易化(1940)

 下村宏(号・海南)と言えば、終戦時の情報局総裁あったこと、また文筆家、歌人でもあったことは、よく知られているが、彼がカナモジ論者であったことは、あまり知られていないのではないか。
 これはインターネットで知った情報だが、雑誌『カナノヒカリ』の一九四三年(昭和一八)五月号には、下村宏の名前で「カナモジヲ 大東亜ノ 共通文字 タラシメヨ」という文章を掲載しているという。言うまでもないが、『カナノヒカリ』は、カナモジカイの機関誌である。ということは、下村は、カナモジカイの会員だったと理解してよいだろう(未確認であるが)。
 一九四一年(昭和一六)に下村が、下村海南の名前で刊行した『来るべき日本』(第一書房)には、全部で一〇七篇の文章が収録されている。そのうちの一七篇は、文字あるいは言語をテーマにした文章である。こうした問題に対する下村の関心は高く、かつ造詣も深かったことがわかる。
 本日は、その一七篇のうちの、「陸軍の文字と用語の簡易化」という文章を紹介してみよう。

 七五 陸軍の文字と用語の簡易化
 陸軍では特殊用語用字があり、新兵はもとより教育高き人々もかなり困つたのである。旧著『欧米より故国を』〔丁未出版社、一九二二〕の中にも筆にした事である。
 遠乗〈トオノリ〉を「ゑんじよう」、寝ず番を「ふしんばん」、眼鏡〈メガネ〉を「がんきやう」、長靴〈ナガグツ〉を「ちやうくわ」、ズボンを短袴〈タンコ〉などと読ませる。手帳類を手簿〈シュボ〉、半径を中径〈チュウケイ〉、大砲を火砲、包装を梱包などと特に普通の用語を避けてゐる。ヅポン下を袴下〈ハカマシタ〉といふ、これもよい、内ポケツトを内物入〈ウチモノイレ〉、外ポケツトを外物入〈ソトモノイレ〉、これもよいとしてホツクなどはその侭ホツクと片カナで弁じてる。又日本語でも逆手〈サカテ〉に出て、洗面器を面洗器〈メンセンキ〉といひ、簡単を単簡〈タンカン〉といふが如き、如何に一般の用語を避けるのか、訳が分らない。不節時〈フセツジ〉といふ字に至つては無駄な時といふ意味らしい。泛水〈ハンスイ〉、躱避〈タヒ〉〔身をかわして避けること〕等に至つては、不文な僕には手の付け様がない、恐らく何れも当時猶、漢学熱が高かつた為めであらう。
 それが、昭和十五年二月二十九日附で、「兵器名称及び用語の簡易化に関する通牒」を発し、今後「弾薬盒〈ダンヤクゴウ〉」を「弾入れ」、「螺旋〈ラセン〉(螺子〈ラシ〉)」を「ねぢ」、「稜鏡〈リョウキョウ〉」を「プリズム」、「彩鏡〈サイキョウ〉」を「フィルター」、「縫綴機〈ホウテイキ〉」を「ミシン」等、「■斗〈コト〉」を「あかとり」、「開闔帯〈カイコウタイ〉」を「締め金」、「捷握把〈ショウアクハ〉」を「握り」などとやさしい名称、文字を使ふことになつた。
 これに使はれる漢字の総数は一二三五字で、現在の『小学国語読本』よりも一二七字すくない。これを一級漢字九五九、二級漢字二七六にわけ、一級漢字は尋常四年終了を基礎とし、素養の如何を問はず一般の兵に使はせる兵器の名称と用語に使ふもの、二級は特別なものに限り使ふことになつて居る。略字も採用して居る。用語は全体を簡易化し、外来語は強ひて翻訳漢語を用ひず、カナで国語化することになつて居る。
 久しい間、軍隊語は別社会のものであつた。今や東亜新秩序の建設につとめ新体制運動の声高くなりし折、軍部の兵器名称用語の簡易化を断行せることは喜ばしい事である。【以下略】

 文中に出てくる「泛水」は、「舟艇を水面に発進させること」という意味のようだが、確証はない。この言葉の読みは、上記の文章では「はんすゐ」とルビが振ってあったが、インターネットで見た文章には、「ヘンスイ」と読ませているものがあった。「■斗」の■がプレビューで表示できなかったが、戸の下に斗と書く難字である。
 なお、上記の下村の文章は、同時代における多くの官僚・知識人の文章とは、まったく別種の、実に読みやすい文章になっている。これは、下村がカナモジ論者であったことと、おそらく無関係ではあるまい。
 また、ここでの指摘のうち、「大砲を火砲、包装を梱包などと特に普通の用語を避けてゐる」、「軍隊語は別社会のものであつた」などは、私には示唆的であった。要するに軍隊用語というのは、そこに新たに参入してきたメンバーに対し、ここが特殊な時空間であることを、ことさら意識させるための一種の「隠語」だったのではないか(マタギの「山ことば」なども、それと似た機能がある)。

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安重根本人は、鎌田弁護士の無罪論を否定

2014-01-25 05:53:50 | 日記

◎安重根本人は、鎌田弁護士の無罪論を否定

 昨日は、『安重根事件公判速記録』(初版)のうち、鎌田正治弁護士が、安重根無罪説を主張している部分を紹介した(原本、一三三~一三五ページ)。
 これに対して、安重根は、公判における最後の申し立てにおいて、次のような見解を表明している。原本の一七七ページから引用。原文は、句読点がついていないが、適宜、句読点を施しながら引用する。

(裁制長)大抵夫〈ソレ〉で好いだらうと思ふ。
(安重根)もう少しあります。それで私は、今申上げました通り、今度の事件は決して誤つてやつたのではありません。誤解してやつたのではありませんから、今日、伊藤公が対韓政策上に於て方向を誤つて居るといふことを、今日、日本の天皇陛下がしろしめしたならば、安は忠臣として嘉せらるゝ〈ヨミセラルル〉であらうと思ひます。伊藤公を殺した刺客として待遇せられないと云ふことを私は確信して居ります。日本の方針が改正せられて、日本の天皇陛下の思召しの通り、日韓両国のみならず、東洋の平和が何時々々〈イツイツ〉までも維持することを、私は希望致すのであります。尚ほ〈ナオ〉、申上げたいのは、二人の弁護士の説に依りますると、光武三年〔一八九九〕の清韓通商条約に依つて、韓国人は清国に於ける治外法権を有して居る。又清国は韓国に於て治外法権を有して居るから、韓国人が海外に於て罪を犯せば、何等の明文がないから無罪であると云ふ説でありましたが、これは甚だ其当を得ない説だと思ひます。今日の人間は、悉く法律の下に生活して居るのである。人を殺して何等の制裁が加へられないといふ訳がない。併し、私がさうすれば、私は個人的にやつたのでなく、義兵としてやつたのであるから、戦争に出て、捕虜となつて、こゝに来て居るものだと信じて居りますから、私の考へでは、私を処分するには、国際公法、万国公法に依て処分せられん事を希望致します。
(裁制長)もう申立つることはないか。
(安重根)何にもありません。

 安重根のいう「二人の弁護士」とは、鎌田正治弁護士と水野吉太郎弁護士のことである。両弁護士とも、安重根無罪説に立っていたが、水野弁護士のほうは、日本刑法の適用を前提に弁論を展開し、懲役三年の刑が妥当と結論づけた。

今日の名言 2014・2・25

◎人を殺して何等の制裁が加えられないという訳がない

 安重根が第五回公判(1910年2月12日)の申し立ての中で述べた言葉。上記コラム参照。

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鎌田正治弁護士、安重根無罪説を唱える

2014-01-24 03:46:39 | 日記

◎鎌田正治弁護士、安重根無罪説を唱える

『安重根事件公判速記録』(初版)の中で、鎌田正治弁護士は、安重根無罪説を主張している。このことは、あまり知られていないと思うので、その一部を紹介してみる。原本では、一三三~一三五ページにあたる。原文では、句読点がついておらず、濁点がない場合があるが、適宜、これらを補いながら、引用する。

 要之〈コレヲヨウスルニ〉、本件に対しては、光武九年〔一九〇五〕日韓協約〔第二次〕の規程と、明治四十二年〔正しくは、明治四十一年〕五十二号〔満洲ニ於ケル領事裁判ニ関スル法律〕の結果、関東都督府地方院が韓清通商航海条約に於て認められたる韓国の領事裁判権に代つて執行するに止まり、適用すべき刑罰法は、無論、韓国法に拠るものと信ずるのであります。
 以上、論ずる処に拠りまして、本件に対しては、結局、韓国刑法を以て判断すべきものとすれば、同法は果して被告等を処罰すべき規程を有するや否や。是れ即ち、最後の問題であります。
 刑罰法の効力に関して、古来、種々の主義が行はれて居ります。
 韓国刑法は、我が日本の旧刑法と同じく、渉外的刑罰法規を欠いて居ることは、同国刑法自体に徴して明瞭であります。即ち、韓国刑法が国外に於ける犯罪を度外視して居るとすれば、本件に対して罰すべき規定が無いと云ふ結論を生ずるのであります。被告等の如き、白昼公然、斯る〈カカル〉大罪を敢てしたる者に対し、何等の制裁を加ふることが出来ないと云ふのは、果して国法上、完全のものであるか否やと云ひますれば、弁護人又大に異論なきにあらずであります。乍去〈サリナガラ〉是れは立法上の問題でありまして、本件の裁判に対しては何等の関係をも持ちません。論者、或は、韓国が清国領土に於て、領事裁判権を有する以上は、刑法の上より云へば、一種の領土の延長と見て差支〈サシツカエ〉ない。故に韓国刑法を適用するも可なり、と。弁護人をして論ぜしめば、論者の説は、裁判の管轄権なる問題と、刑法の効力問題を区別せない議論と信じます。裁判権の存する所は、常に国法の及ぶ所なりとの議論が立つものとすれば兎に角、現に関東州の如き帝国に於て裁判権を有するに拘はらず、帝国刑法は当然、此地に効力を有せず、特別に之れを施行すべき法規を俟つて、始めて行はるゝのであります。
 要するに、弁護人は、立法上の問題としては、被告等を処罰すべき事を望みますが、如何にせん、法の不備よりして、止むなく無罪の弁論を致さなければならぬ次第であります。

 かなり複雑な議論の立て方をしており、一部理解しにくいところもあるが、結局のところ、鎌田正治弁護士の主張は、こうなるだろう。――適用すべき刑罰法は韓国刑法で、帝国刑法はこの地に効力を有しない。韓国刑法の不備によって、安重根は無罪という弁論をなさざるを得ない、と。

*アクセスランキング歴代12位(2014・1・24現在)

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次点 2013年2月14日 ナチス侵攻直前におけるポーランド内の反ユダヤ主義運動  

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安重根の背後関係は深く追求されていない

2014-01-23 06:04:10 | 日記

◎安重根の背後関係は深く追求されていない

 いま必要があって『安重根事件公判速記録』(初版)を読んでいるが、溝淵孝雄検察官の論告のなかに、気になる部分を見つけた。その部分は一一三ページにある。
 原文は、句読点がついていないが、適宜、句読点を施しながら、引用してみる。

 犯罪の決意、模様、日時、場所 
一、決意を為すに至る模様は、伊藤公に対しては私怨あるに非ず。個人として生命を奪ふは忍びざるも、東洋平和、韓国独立の為めに、之を亡はざるべからず。之が為めには、父父母兄弟を見捨てたり。現に安〔重根〕の如きは眼中父母妻子兄弟なしとは、被告の主張なり。犯罪と犯罪防止観念と心裡に於て競争し、其防止観念を抑圧し、殺意を決するを以て、予謀せる殺意なりと謂はざるべからず。
二、此決意は、浦塩〔ウラジオストック〕に於て、其出発前、咄嗟〈トッサ〉の間に起せしものとす。安は三年前より殺害の意思ありといふも、安は鄭大鎬に託し、其妻子を呼び寄せんとしたるは、旧八月の事なり。伊藤公渡満の風評の、東京より満洲に報ぜられたる最初は、十月六日発電にして、満洲日々、遼東新報共に東京電報として掲載せり。露国哈爾賓〈ハルビン〉新聞の現はれたる初めは、露暦十月七日、即ち日本の十月二十日にして、其実際公表せられたるは十月中旬頃なり。
安は浦塩出発二日前、同地に来たり。浦塩大東共報社に於て、伊藤公来哈の風説を聞くと言へり。左すれば〈サスレバ〉、公表後の事なり。安が何れの経路を取り浦塩に来りしや、又永く浦塩に居りたるや、権謀術数ある安の陳述の事とて、容易に断定し得ざるも、余り被告の罪跡に関係無きを以て、深く追窮せず。
三、【以下略】

 最後のところで、溝淵検察官は、「安が何れの経路を取り浦塩に来りしや、又永く浦塩に居りたるや、権謀術数ある安の陳述の事とて、容易に断定し得ざるも、余り被告の罪跡に関係無きを以て、深く追窮せず」と述べている。
 要するに、安重根の背後関係については、よくわからず、また深く追求しなかった、しかし、安が実行犯だということだけは、間違いないので死刑にしたいというふうに受けとれる。もちろんこれは、溝淵検察官一個人の意思ではなく、当時の政府中枢の意思だったと思われる。
 いずれにしても、この事件は、まだまだ謎が多いと言わざるをえない。

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今や祖国日本は容易ならざる難局にある(1942)

2014-01-22 06:03:44 | 日記

◎今や祖国日本は容易ならざる難局にある(1942)

 昨日は、光藤直人『賭博犯検挙要説』の戦後版のの「はしがき」を紹介した。本日は、同書の戦中版(東亜書房、一九四二)の「序」を紹介してみよう。

 序
 賭博の取締に関する著作は絶無ではない。それに拘らず敢て禿筆を揮つたのは「一本を座右に備ふれば先づ足りる」と謂ふべき冊子が時節柄必要であると感ぜられたからである。殊に警視庁に於ては機構改革により従来保安部主管たりし賭博取締が刑事部に移管された結果、各警察署に於ても保安係より刑事係に引継がれ、刑事係に於ては従来の犯罪に対する取扱が非現行犯として其の殆んどが処理せられて居た関係上、事犯の内容の相違にもよるが賭博現行犯の取扱に勝手違ひの感があり、関係書類の作成及現行犯事件の処理に苦心せられて居る様子が窺はれるので、其の参考資料として本冊子を著した次第である。
 本書の特長は叙上の点を眼目とした関係上、内外勤、制私服員、監督者たると巡査たるの何れを問はず、警察官として夫々の立場から見て賭博取締上必要事項を網羅したことである。素より著者は学究の徒ではないのであつて、法律的の難かしい条文の説明は避け、十数年来の実務経験に基いて実際的に平易なる解説を試みた。
 幸に本書が賭博犯取締の参考として警察官諸賢の座右に備へられ活用せらるゝことあれば著者望外の幸とするところである。
 現下国際情勢の緊迫につれて挙国緊張の必要は一層痛切となり、国民全体に亘る戦時体制強化は更に切実を加へ来つた。今や祖国日本は容易ならざる難局に立ち曠古の〔前例のない〕飛躍期にあることを深思し、邦家の為に粉骨砕身、一人たりとも無為安逸は許されざる秋である。
 事変〔日支事変〕発生以来時局突破の為に新に警察に課せられたる任務は頗る多い。此等時局要務と在来の責務を併せ荷ふて完全に之を処理することは、現在の警察陣容を以つてして決して容易の業ではない。而も吾々は万難を排して之が完遂を図り国家の付託に応ふる所がなければならぬ。吾々は啻に全力を挙ぐるを以て足れりとせず、時局を認識し全力を最有効に用ふるの方途を真剣に考慮すべき事態に在るのである。故にこの心構へを以て賭博に就ても万全の取締を為し、聖戦遂行上銃後に不安なからしむ様、努力して戴きたいと思ふ。
 昭和十六年十月一日        著 者 識

 光藤直人は、戦中の一九四一年に、「今や祖国日本は容易ならざる難局に立ち」と書いた。その光藤は、敗戦直後、占領下の一九四八年に、「今や日本は容易ならざる難局に直面し、国家存亡の重大岐路にある」と書くことになった。すなわち、一九四一年の文章は、その七年後においても、基本的には、そのままの形で流用することができたわけである。何という皮肉だろうか。

今日の名言 2014・1・22

◎時局突破の為に新に警察に課せられたる任務は頗る多い

 光藤直人の言葉。『賭博犯検挙要説』(東亜書房、1942)の「序」に出てくる。光藤が、この「序」を執筆したのは、1941年10月1日であった。

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