礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

岩淵辰雄と長尾和郎

2014-01-14 19:17:56 | 日記

◎岩淵辰雄と長尾和郎

 長尾和郎の『戦争屋―あのころの知識人の映像―』には、高木健夫による「この書のはじめに」という序文がついている。本文の最初のほうに、「本多顕彰氏への質問状」という一文がある。本文の最後には、「知識人の戦争責任―鶴見俊輔君に寄せて―」というかなり長い文章が置かれている。カバーには、岩淵辰雄による「著者の横顔」という紹介文が載っている。
 いかにも、話題になりそうな(物議を醸しそうな)本である。本日は、上記のうち、岩淵辰雄の「著者の横顔」という文章を紹介してみよう。岩淵は、近衛文麿を中心とするヨハンセングループの一員で、「近衛上奏文」の作成にも関与したことで知られている。

 著者の横顔 岩淵辰雄
 ぼくが長尾を知ったのは、昭和十三年〔一九三八〕ごろだった。当時は日本評論〔雑誌名〕の見習記者だったと思うが、なかなかの硬骨漢で、ぼくの所へ出入りする編集者としては古顔だ。
 雑誌記者にも時代的断層があって、長尾はその点、戦前戦後にわたる記者生活一本で貫いていることはほめられていい。恐らく長尾は応召されなかったら、もちろん横浜事件に関係していたかもしれないが、あの横浜事件に関連していたら、戦後は左派的な人物となり、その活動もせばめられたにちがいないからだ。
 戦後、新生〔雑誌名〕編集長として創刊号当時の苦労はなみたいていでなかったが、馬場恒吾や河上肇の一番乗りは、ぼくたち老年組の間でいつも話題になっている。右でもなければ左でもない様だが、人から愛される性格は長尾の特色で、また短所ともなっているのではないかと思う。
 長尾が本書をかくにあたって、相談にきたが、ぼくから戦前戦後のかくれたる秘話をきくどころか以外の消息通には、ぼくも驚いたくらいだ。きくところによると、長年師事している室伏高信□□については、戦前から刻明なメモをつくっていたという。本書に登場する人物はいつでも対決する準備をもっていると自信ありげにいっていたが、三木清の事にふれている所は、なかなかの勇気がいるが、これを敢てとりあげている点は、従来の長尾和郎のカラを破る礎石となるかもしれない。

 これで全文である。□□の部分がこすれていて判読不明だが、たぶん「先生」とあったのではないか。

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