礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

宗教は勤労と節約を生むか(ウェスレーとウェーバー)

2014-01-01 05:40:25 | 日記

◎宗教は勤労と節約を生むか(ウェスレーとウェーバー)

 必要があって、昨年来、マックス・ウェーバーを読んでいる。以前は、あまり、おもしろいとは思えなかったが、最近は、なかなか興味深く読んでいる。論理そのものはあくまでも難解だが、引いてくる事例や文章が妙にリアルであり、ウェーバーの論理を把握するためには、これらが大いに役立つ。
 最近は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(一九〇四~一九〇五)』を拾い読みしているが、メソディスト派の指導者ジョン・ウェスレー(一七〇三~一七九一)の言葉を引いている部分が印象的だった。

「私はきづかっているのだが、富の増加したところでは、それに比例して宗教の実質が減少しているように思う。それゆえ、事物の本性にしたがって、まことの宗教の信仰復興〈リヴァイヴァル〉を長いあいだ継続させうるような方法は、私にはわからない。なぜというに、宗教は必然的に勤労(industry)と節約(frugality)を生むほかなく、この二つは富をもたらすほかはない。しかし、富が増すとともに、高慢、激情、そしてあらゆる形での現世への愛着も増してくる。だとすれば、心情の宗教であるメソディストの信仰は、いま青々とした樹木のように栄えているが、どうしたらこの状態を久しくつづけることができるのだろうか。どこででもメソディスト派の信徒は勤勉になり、質素になる。そのため彼らの財産は増加する。そこで、それに応じて、彼らの高慢や激情、また肉につける現世の欲望や生活の奢り〈オゴリ〉も増大する。こうして宗教の形は残るけれども、精神はしだいに消えていく。純粋な宗教のこうした絶え間ない腐敗を防ぎうる途〈ミチ〉はないであろうか。人々が勤勉であり、質素であるのを防げるべきではない。われわれはすべてのキリスト者に、できるかぎり利得するとともに、できるかぎり節約すること、すなわち、結果において富裕になることを勧めなければならない」

 これが、ウェーバーが引用するところのウェスレーの文章である。ウェーバーは、この文章を、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の最後のほうで紹介しているが、これは、もっと前のほうで紹介すべきだったと思う。理由は言うまでもない。このウェスレーの文章を読むことによって、ウェーバー自身の「問題意識」というものが、よく見えてくるからである。
 なお、上記の引用では、岩波文庫の旧訳(梶山力・大塚久雄訳)を用いた。岩波文庫の新訳(大塚久雄訳)よりも、この旧訳のほうがわかりやすいような気がしたからである。

今日の名言 2014・1・1

◎宗教は必然的に勤労と節約を生む

 メソディスト派の指導者ジョン・ウェスレーの言葉。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』から。ただし、ウェスレーのいう「宗教」とは、キリスト教のことであり、またキリスト教のうちでも、限定された宗派のことを指しているようだ。世界に数ある宗教・宗派のうちには、遁世を勧め、蕩尽に走っているものも多い。

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