礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

新橋駅始発の一番列車は横須賀行き

2025-01-26 00:01:33 | コラムと名言
◎新橋駅始発の一番列車は横須賀行き

 昨日、紹介した『明治廿八年 御重寳』は、巻頭に梅屋旅館の案内があり、そのあとは、「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」となる。これが、「一」ページから「十六」ページまである。本日は、「一」ページにおける内容を紹介してみたい。
 ページの右はしに、タテ書きで「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」とあり、上には、ヨコ右書きで「新橋横浜及横須賀国府津間」とある。このページに、新橋駅・国府津駅を走る全列車の発着時刻と賃金(乗車賃)が記されている。その内容を、箇条でまとめてみる。

○新橋駅・国府津駅間にある駅は、次の通り。新橋・品川・大森・川崎・鶴見・神奈川・横浜・程ヶ谷・戸塚・大船・藤沢・平塚・大磯・国府津。大船駅からは、横須賀駅行きの路線が分岐していて、その路線の駅は、大船・鎌倉・逗子・横須賀である。
○当時の横浜駅は、今日の桜木町の位置にあったという。神奈川駅は、1872年(明治5)に開業した駅だが、1928年(昭和3)に廃駅となっている。
○新橋駅始発の列車には、横須賀駅行き、神戸駅行き、大垣駅行き、横浜駅行き、浜松駅行き、静岡駅行き、程ヶ谷駅行きの七種類があった模様である(一~三ページ)。
○大船駅を始発とする横須賀駅行き列車も出ていた模様である(一ページ)。
○新橋駅始発の、その日、最初の列車は、横須賀駅行きである。各駅における発着時刻は、次の通り(いずれも午前)。新橋発5:50、品川発5:54、大森発6:08、川崎発6:20、鶴見発6:28、神奈川発6:40、横浜着6:45、横浜発6:51、程ヶ谷発6:58、戸塚発7:16、大船着7:25、大舟発7:30、鎌倉発7:41、逗子発7:51、 横須賀着8:05。
○新橋駅始発の、その日、二番目の列車は神戸駅行き。国府津駅までの各駅における発着時刻を示す(いずれも午前)。新橋発6:20、品川発6:28、大森発6:08、神奈川発7:00、横浜着7:05、横浜発7:05、程ヶ谷発7:17、戸塚発7:36、大船着7:45、大船発7:47、藤沢発7:56、平塚発8:17、大磯発8:24、国府津着8:40(大森・川崎・鶴見は通過)。
○新橋駅発の、その日、最終の列車(二十二番目)は横浜駅行き。各駅における発着時刻を示す(いずれも午後)。新橋発11:10、品川発11:18、大森発11:26、神奈川発11:53、横浜着11:58(川崎・鶴見は通過)。
○新橋駅から各駅までの賃金(乗車賃)は、次の通り。品川4銭・大森7銭・川崎12銭・鶴見14銭・神奈川18銭・横浜20銭・程ヶ谷20銭・戸塚26銭・大船29銭・鎌倉32銭・逗子34銭・横須賀39銭・藤沢32銭・平塚40銭・大磯43銭・国府津49銭。

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『明治廿八年 御重寳』という冊子を見つけた

2025-01-25 00:07:25 | コラムと名言
◎『明治廿八年 御重寳』という冊子を見つけた

 本年に入ってから、神保町の某書店で、『明治廿八年 御重寳』(法木書店)という冊子を入手した。
 小型の薄い冊子で、表紙には、「明治廿八年/御重寳 全/函根底倉/梅屋牧太郎」とある。箱根底倉にある「梅屋」という温泉旅館の案内のようだった。帰ってからよく見ると、同旅館の案内のあとに、「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」というものが付いていた。発行は、189年(明治27)11月20日。
 すなわち、この冊子は、汽車の時刻表を「付録」にした梅屋旅館の案内だったのである。
「時刻表」の紹介は、あとにまわして、本日は、梅屋旅館の案内のところを紹介してみたい。
「案内」は、1ページから8ページまで。その2ページから3ページにかけて、次のような文章があるので、これを引いてみよう。改行は原文のまま。

  箱 根
  底 倉 温 泉 分 折 表御 案 内
         神奈川縣足柄下郡温泉村底倉
         魁春樓 梅屋 鈴 木 牧 太 郞

弊店儀諸君子ノ御愛顧ヲ蒙リ年々歳々繁榮ニ赴キ難有仕合奉存候猶一層平
素ノ御厚恩ノ萬一ニ報センカ為諸事大改良ヲナシ浴室廣大ニシテ
清浄客室ハ空氣ノ流通宜シク飲食品ハ相洋ノ鮮魚ヲ御意ニ
随ヒ佳美ニ調進シ肉類野菜ニ至ル迄新鮮ヲ撰ミ供進仕リ然シテ極安
直ニ御賄致候又温泉功能ハ本表分折ノ如シト雖トモ新温泉ハ特別
奇効アリ(當時分折試験中ニ付不日追加)氣候ハ冬暖ニシテ極暑朝夕七
十度日中八十五度ニ上ラス常ニ天氣晴朗清風颯々神氣ヲ洗フ實ニ
不二之仙境ト信ス加之新路開鑿竣功シ鉄道馬車及人力車ノ便郵便電信
往復ノ速ナル都会ニ勝ル乞フ御愛顧之諸君子知己之各位御誘
導被成下陸続御来浴ノ程奉待迎候  恐惶謹言
  明治廿八年一月         魁 春 樓 主  敬 白

「案内」の最後、すなわち8ページの末尾には、「旅行時間並ニ道筋」という項がある。これも、改行は原文のまま。

       旅行時間並ニ道筋
東京ヨリ横濱滊車五十五分間着其ヨリ國府津迄滊車一時間三十五分間人力車着下
車直ニ鐵道馬車ニ乗シ一時廿分間ニシテ湯本着湯本ヨリ當底倉迄人力車
(二人挽凡四十五分間
一人挽凡一 時 間)着(但シ底倉ヨリ湯本ヘ下リ人力車ハ二人挽二十
五分間一人挽凡三十五分間)

 当時、箱根の底倉温泉に赴くには、まず、東海道線で国府津駅まで行き、そこから鉄道馬車で箱根湯本まで行き、そこからさらに、人力車に乗る必要があったようである。

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友清歓真先生は、突然帰天せられた

2025-01-24 00:50:14 | コラムと名言
◎友清歓真先生は、突然帰天せられた

 角川文庫版『ドイツ国民に告ぐ』(小野浩訳、初版1953)から、その「解説」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。

 訳出に当つては大津康〈ヤスシ〉先生の訳業を、またのちに知人から拝借した河合哲雄氏訳も参照して多大の恩恵を蒙つた。先人の訳はいづれも苦心の跡の偲ばれるものであつた。殊に大津先生は処女地に鍬を入れられたのであるからその辛苦は察するに余りあるものであるが、やはり相当に誤解も脱落もあり、一読しては納得のゆかぬところがあり、まさに改訳の時期に達したものと思はれる。自分としでは講演の本質を考へて、成るべく一読してわかることを訳出の主眼とした。しかし講演と言つてもこれは大衆相手の政談演説の如きものではなく、大学に於ける一種の公開講義であるから、読んでわかると言つても読者の側に相当の哲学的素養を前提にした上のことなのである。カント哲学の矛盾を克服し、観念論の方向に於て究極のところまで徹底せしめたと言はれ、フィヒテの「自我論」についての予備知識は、読者諸賢の御努力に期待したい。
 アルフレート・ボイムレルはその Studien zur deutschen Geistesgeschichte (Berlin 1933) に於てニーチェを論じてバーゼル講演に及び、ニーチェのバーゼル講演とフィヒテの本講演とはドイツ精神史上における画期的な二大講演であると言つてゐるが、よく対局を摑み得てゐると思ふ。ニーチェのバーゼル講演は、角川書店版ニーチェ全集第三巻に拙訳が収載されてゐるから、併読して頂ければ幸甚である。なほ訳出にあたつては阿部先生から拝借したフリッツ・メディークス校閲の「フィヒテ著作集」第五巻により、家蔵のレクラム版を参照した。
 今この跋文を閉ぢるに当つて私は先師友清歓真〈トモキヨ・ヨシサネ〉先生のことに触れずに筆を擱くことはできない。先生がいかなる方であるかは、いま語つてゐる余裕がない。しかし将来わが同胞の心ある人々の間に先生の名が永久に忘れられぬものとなる日は必ず来るであらう。本年〔1953〕一月十四日、フィヒテの訳業に着手した旨をお報せした手紙に対し先生からは「フィヒテの講演はあの戦塵未だ濛々たるときになされた真に劇詩的のもので、本当に魂の叫びだらうと存じます。人間歴史の中に余り多くない文献の一つと存ぜられます、どうぞ筆硯〈ヒッケン〉御精励を祈り上げます」といふお手紙を頂いた。その同じお手紙に多少風邪気味であると述べられたが、それから一ケ月を経た二月十五日午前頃突然帰天せられたのであつた。私が先生に負ふところは真に絶大であり筆舌に尽し難い。この世で先師の御恩の万分の一にもお酬い出来なかつたことはまことに遺憾であるが、私は右に引いた先生のお手紙の言葉を遺言と思ひ、頭上三尺のところで私の訳業を見守つて下さる先生に励まされる思ひで漸く完成の運びとなり得たのである。私は謹んでこの拙き訳を先生在天の神霊の照鑑にお供へさせて頂きたいと思ふ。

  昭和二十七年八月二十七日    仙台にて 訳 者

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フィヒテに匹敵する思想家は、戦後の日本に現れていない

2025-01-23 01:35:42 | コラムと名言
◎フィヒテに匹敵する思想家は、戦後の日本に現れていない

 角川文庫版『ドイツ国民に告ぐ』(小野浩訳、初版1953)から、その「解説」を紹介している。本日は、その二回目。

 かうしてフィヒテは旧教育に対照しながら、原理的な根拠に遡りつつ、理想的教育の本質を述べてゆく。しかしドイツ民族は果してこのやうな真の教育をうけるだけの資質を具備してゐるであらうか。そのためにはまづドイツ民族の本質を究明することが必要であり、フィヒテはドイツ人を他のゲルマン系諸続と対比しつつ、主としてその言葉における本来と非本来との差に焦点を据ゑてドイツ語の優越を論じ、そこからくる結果としてドイツ的思惟〈シイ〉の本源性を認容し、ドイツ人の本源性に由来する特質が具体的に史上に発揮された実例として「宗教改革」の運動を論じ、ついでドイツ哲学の本質と真の自由に言及し、かうしてドイツ人の愛国心がその根ざすところ深く遠く、ドイツ人こそ西欧において真の国民と呼ぶにふさはしい唯一の民族であるといふ結論を導いてくるのある。私たちはフィヒテの所論をたどりながら、それが一々原理的根拠からの展開であり、人を納得させなければやまぬ気魄に充たされたものであることに気づくであらう。例へばいはゆる教養ある階級を以て任ずる人々が、鼻先で冷笑するのを常としてゐる愛国心といふやうな資質も、それが一民族全体の特質として問題となるときには、決してあらゆる民族に見られるものではなく、ひとり本源性を失はぬ民族にのみ許されたものであることを、人々はフィヒテの所論から納得させられるであらう。
 かうしてフィヒテはペスタロッツィーに結びつきながら、さらに進んで新しい教育の理念、その実施の現実的な要領、及びそれを実施すべき責任者の問題を論じ、この教育が実施されるまでドイツ人が毅然として身を持してゆく方途を詳論し、これまでのドイツを愚〈オロカ〉にしてきたヨーロッパ列強間の勢力均衡政策を痛烈に分析し、「世界国家妄想」を完膚〈カンプ〉なく批判しつくし、最後に千年にわたるドイツ精神史を一身に具現した偉大な思想家の権威を以て、青年に老人に実務家に思想家にさらに王侯に訴へ、成ひはこれを温かく元気づけ、或ひは痛烈に批判激励してこの雄篇を閉ぢてゐるのである。
 本書を通読した人々は、一国の敗北といふやうな重大事が招来される場合に一民族が呈する様相、敗北にからんで生起してくる世情などは全く典型的なもので、一世紀半を隔てたいまの日本に於ても、そのままに見られることに驚き、これこそ今日の日本のためになされた講演であると叫ぶに違ひない。フィヒテの勧告や要求は、これを私たちが日本の歴史的国情に由来する原理によつで補へば、そつくりそのまま今日の日本にあてはまるものである。ただし本講演の中核をなす新教育の実施が、当時のドイツにはなほ一方の活路として許されてゐたのであるが、現在日本の場合はこの点に於てさらに深省を要する大きな問題を課せられてゐると言ふべきであらう。
 誠心誠意祖国の前途を憂慮しその復興を念じてゐる思想家も少くはないであらう。しかしさらにその洞察の精到深刻に於て、従つてその痛感に於て、またその視圏の広袤〈コウボウ〉と思惟の強靭〈キョウジン〉に於て、フィヒテに匹敵する人は戦後の日本にはまだ現れてゐないやうである。かういふ時に当つて私は阿部次郎先生が祖国の復興を祈念されるあまり、大患後のすぐれぬ健康と薄明の視力を冒して〈オカシテ〉あまねく同憂の士に訴へられた諸篇のうち、「欣々自私」と「改造文藝に餞〈ハナムケ〉す」の二篇を本書の読者にお奨めしたいと思ふ。本書の訳出も阿部先生と同憂の士角川源義〈カドカワ・ゲンヨシ〉氏とのお奨めによつてなされたものである。〈282~284ページ〉【以下、次回】

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角川文庫版『ドイツ国民に告ぐ』の解説を読む

2025-01-22 00:21:39 | コラムと名言
◎角川文庫版『ドイツ国民に告ぐ』の解説を読む

 丸山眞男が「戦後初めての講義」の中で、フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』を紹介していると知って、『ドイツ国民に告ぐ』を読みたくなった。同書の翻訳は、岩波文庫に入っており、学生時代に入手した覚えがあるが、すぐには出てこなかった。国立国会図書館のデジタルコレクションで読もうとしたが、岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』(大津康訳)は、なぜか、インターネット公開がされていなかった。一方、角川文庫版『ドイツ国民に告ぐ』(小野浩訳、初版1953)というものもあって、こちらは、インターネット公開されていた。
 本日以降、角川文庫版『ドイツ国民に告ぐ』の「解説」を、三回に分けて紹介してみたい。解説しているのは、角川文庫版の翻訳者・小野浩(1907~1997)である。 

 解 説

 ヴィルヘルム・ヴントはその名著「諸国民とその哲学」(Die Nationen ihre philosophie)においてフィヒテ哲学をドイツ観念論の精華と呼び、かつドイツ理想主義の最も高貴な所産として、ゲーテ、シレルの作品と並んで、教養あるドイツ人の蔵書に欠くことの出来ぬものとして、フィヒテの「人間の職分」、「現代の根本特徴」、及び本講演の三者を挙げかつ附け加へて言つてゐる、「知識学」は疾く忘れられるか、もしくは時代遅れの思想構成として哲学史によつて継続されるかのいづれかであらうが、以上の三書はドイツ国民のあらん限り存続するであらう、と。
 フィヒテのこの講演が「現代の根本特徴」の継続であることは、みづからこの講演の開始に当つて述べてゐるが、実にこの書にはドイツ理想主義の精神が圧倒的な力を以て表現されてゐつと言はれてゐる。
 そもそもドイツがナポレオン軍の蹄鉄下に蹂躙され、これに慴伏〈ショウフク〉せねばならぬやうな事態はいかにして生じたのか。それは実に全ドイツが啓蒙時代の猛毒に当つてゐたからである。それは「理性の啓蒙ではなく、生活の卑近な目的のために究極目的を逸し去る常識の啓蒙」であり、そして「常識には自分の幸福、有益なもの、快適なもの以外のことは何もわからない」がらである。この場合、「経験が唯一の認識の源泉であり」、従つて「常識は倫理学と宗教とを純然たる幸福説に変へてしまつた」のである。それは本来「啓蒙」ではなく「空疎化」と呼ばるべきものであり、「啓蒙哲学の仕事は一切の理念と理想との排除である」。かうして道義悉く地に墜ち一世を挙げて滔々〈トウトウ〉たる利己主義に堕して行つたのであつた。常識的に膚浅〈フセン〉な個人の解放に眩惑されて全体的な同胞感は悉く忘れ去られてしまつたのである。それは明治末期から大正を通じ昭和の現在にかけての日本の国情に髣髴〈ホウフツ〉たるものがないであらうか。ただし、当時の方がもつと規模が小さかつただけのことであらう。フィヒテは更に同じ「現代の根本特徴」に於いて言ふ、「個人としての自分のことしか考へないものは要するに卑しく小さ悪く而も不幸な人間にすぎない」と。しかし戦後は特にこの種の人間が世の中に横行してゐるのではないであらうか。世には「ただ一個の悪徳がある、それは自分のことしか考へないことである。」そしてフィヒテの本講演はこの種の利己主義の排撃を以て開始される。祖国の悲惨なる敗北は実に、一切悪の根源としてのかかる私慾の跳梁〈チョウリョウ〉に対する必然の懲罰であつた。国民は決然としてそれを棄て去らなければならない。「個人としての自己を忘れること」こそフィヒテによれば「唯一の徳」である。しかし禍ひ〈ワザワイ〉の由来するところは深く、これを抜き去ることは容易ではない。そのためには従来の醜陋低卑〈シュウロウテイヒ〉な考へ方を一掃して全体に対する責任感を中核にした清新で雄大な世界観を産み出すための新しい教育が、次の世代に対する真の国民教育が必要である。それはもとより個人を無視するものではない、けだし個人は、全体内における自己の位置と全体に対する自己の使命を正しく洞察して、真に生ける全体の有機的構成員なることを明瞭に自覚したとき、始めて個人としても完成するからである。「同胞を信じ、同胞や一切生命の本源との一体を意識して自己の畑を耕すものは、この信仰なくして山を移すものより限りなくかつ遥かに貴くまた幸福である」(「現代の根本特徴」)。〈281~282ページ〉【以下、次回】

 文中、「啓蒙」および「空疎化」という言葉には、カタカナでルビが施されているが、ともに印刷が鮮明でない。啓蒙のルビは、対応する原語から、アウフクラールング(Aufklärung)であろうと推定したが、空疎化のほうは、対応する原語が特定できず、ルビも推定できなかった。博雅のご教示を俟つ。

付記 当記事の最初のほうで、次のように書きました。「国立国会図書館のデジタルコレクションで読もうとしたが、岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』(大津康訳)は、なぜか、インターネット公開がされていなかった。」これを、以下のように訂正します。「国立国会図書館のデジタルコレクションで読もうとしたが、読めなかった。岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』(大津康訳、初版1928、第8刷1934)は、もともと、同図書館には架蔵されていなかったのである。」なお、2025年2月5日の当ブログ記事「付記」を参照いただければ幸いです。(2025・2・5)

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