礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

かつて高月駅と木ノ本駅の間に駅があった

2025-01-29 00:02:09 | コラムと名言
◎かつて高月駅と木ノ本駅の間に駅があった

『明治廿八年 御重寳』の付録「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」の紹介に戻る。
 この時刻表の四ページの上には、ヨコ右書きで「大府武豊間 亀山津間 津宮川間 桑名草津間 米原金ヶ崎間」とあって、大府駅・武豊駅間 亀山駅・津駅間 津駅・宮川駅間 桑名駅・草津駅間 米原駅・金ヶ崎駅間の、それぞれの路線について、各駅の発着時刻が示されている。
 このページの内容について、箇条でまとめてみた。
 なお、このページに限らず、この時刻表では、路線の名称、運営主体の名称などは、いっさい示されていない。

○大府・武豊間の鉄道は、いわゆる「東海道線」の支線にあたる。この支線は、今日、武豊線(たけとよせん)と呼ばれているが、当時、そのような呼称があったかどうかは不詳。
○大府・武豊間の駅は、大府(おおぶ)・亀崎(かめざき)・半田(はんだ)・武豊(たけとよ)の四駅。下り・上りとも、一日五便。
○亀山・津間の鉄道は、関西鉄道(民営)の支線で、「津支線」と呼ばれていたようだ。亀山・津間の駅は、亀山・下庄(しものしょう)・一身田(いしんでん)・津の四駅。下り・上りとも、一日七便。
○津・宮川間の鉄道は、当時、民営の参宮鉄道が運営し、参宮線と呼ばれていたようだ。津・宮川間の駅は、津・阿漕(あこぎ)・高茶屋(たかちゃや)・六軒(ろっけん)・松阪(まつさか)・相可(おうか)・田丸・宮川(みやがわ)の八駅。下り・上りとも、一日八便。
○この当時の相可駅は、初代の相可駅であって、今日、紀勢東線にある相可駅(二代目)とは別。初代の相可駅は、1923年(大正12)に相可口駅と改称され、さらに1959年(昭和34)には、多気(たき)駅と改称され、今日にいたっている。
○桑名・草津間の鉄道は、関西鉄道が運営していた。桑名駅から草津駅までを結ぶ路線が完成したのは、1896年(明治27)7月だった。この路線が、当時、何と呼ばれたかは不詳。桑名・草津間の駅は、桑名・富田(とみだ)・四日市・河原田(かわらだ)・高宮・亀山・関・柘植(つげ)・深川(ふかわ)・三雲・石部・草津の十二駅。下り・上りとも、一日七便。
○米原・金ヶ崎間の鉄道は官営鉄道で、のちに北陸線、北陸本線の一部となった。米原・金ヶ崎間の駅は、米原・長浜・高月・井ノ口・木ノ本(きのもと)・中ノ郷(なかのごう)・柳ヶ瀬(やながせ)・疋田(ひきだ)・敦賀(つるが)・金ヶ崎(かねがさき)の十駅。下り・上りとも、一日四便。

 米原・金ヶ崎間の駅名を見ると、高月駅と木ノ本駅との間に「井ノ口」という駅があったことになっている。今日、ウィキペディアで調べても、その駅の存在が確認できない。ただし、現在長浜市高月町(たかつきちょう)には、井口(いのくち)という字名がある。この時刻表の当時、「井ノ口」あるいは「井口」という駅(読みは「いのくち」であろう)が存在したことは、ほぼ間違い。地元の方、鉄道ファンの方のご教示を俟つ。

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