8月18日からは七十二候の一つ『蒙霧升降(ふかききりまとう)』です。
蒙霧升降とは森や水辺に白く深い霧がたちこめる頃のこと。
日中の暑さから解放され、
蒙霧升降とは森や水辺に白く深い霧がたちこめる頃のこと。
日中の暑さから解放され、
朝夕のひんやりとした心地よい空気の中、
深い霧が幻想的な風景をつくりだすとあります。
現実の今日は薄暗い朝となり激しい雷雨に襲われています。
このところこんな梅雨末期を思わせる日が続いており、
全国で災害が出てお盆どころでなかった地域が多発している。
異常気象は世界各地でも出ており、
地球の異変はとどまるところなく進行していくのだろうか。
昨日は菩提寺にて施餓鬼法要でした。
煩悩な爺にはこんな時ぐらいは初心に帰らねばと毎年出席している。
昨年も同じことを書いたが餓鬼の世界とは、
生前欲張りで嫉妬深い人間が陥る世界で、
そこには様々な欲求不満の人間がおり、
決して満たされることの無いおのれの欲望の炎によって、
自身の身を焼く地獄の世界とある。
私達は生臭な凡人ですから、
つい欲深く罪な行動を知らず知らずの間に行ってしまい、
その結果によって極楽浄土へ行くつもりが、
餓鬼道の世界に落ちて苦しむかもしれません。
そうした多くの人々を救うために今生きている私達が、
餓鬼道の世界で苦しんでいる人々の為に代わって善行を積んで、
仏様の慈愛でもって極楽世界へと導いてもらうために、
施餓鬼供養を行うとされます。
生前欲張りで嫉妬深い人間が陥る世界で、
そこには様々な欲求不満の人間がおり、
決して満たされることの無いおのれの欲望の炎によって、
自身の身を焼く地獄の世界とある。
私達は生臭な凡人ですから、
つい欲深く罪な行動を知らず知らずの間に行ってしまい、
その結果によって極楽浄土へ行くつもりが、
餓鬼道の世界に落ちて苦しむかもしれません。
そうした多くの人々を救うために今生きている私達が、
餓鬼道の世界で苦しんでいる人々の為に代わって善行を積んで、
仏様の慈愛でもって極楽世界へと導いてもらうために、
施餓鬼供養を行うとされます。
「人間の性」とは怖いほど奥深い。
善人で通しているつもりでも欲深いことをしていることはよくある。
もう若いころのような「野心」や「欲望」は無くなったが、
出来れば欲深い罪は生きているうちに帳消しにしておきたいもの。
それともあの世まで持っていくか自問してしまう。
閻魔大王の判定や如何にですね。
善人で通しているつもりでも欲深いことをしていることはよくある。
もう若いころのような「野心」や「欲望」は無くなったが、
出来れば欲深い罪は生きているうちに帳消しにしておきたいもの。
それともあの世まで持っていくか自問してしまう。
閻魔大王の判定や如何にですね。
< 取り戻せずとも慈愛の餓鬼供養 >