風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

自由

2006-10-15 13:58:00 | Weblog
この夏に、広島の美大の先生をしている人と話す機会がありました。
先生とは言っても先生らしからぬ奔放な雰囲気を漂わせる人でしたが。

色々と話している中で
「最近の若者は羽目を外して遊ぶことも知らない。」
とその人に言われました。

自分では十分なほど羽目を外して遊んでいると思っているので
「どう遊んだら『羽目を外した』ことになるんですか?」
と問い返しました。

すぐさま返答。
「そんなことを聞くのはまだまだ遊び足りないということだ。
それに、言われたことだけをするのでは芸が無い。」

・・・なるほど。


そのことを思い出すきっかけになったのは、今日の新聞の4コマ漫画。

父親が息子を野原に連れて行く。
しかし息子は何をして遊べばいいのか分からず、父親に何をすればいいのかと問う。
最近の子供は遊び方まで親の指示を仰がねばならなくなったのかと父親は危惧。

その後父親は荷物の配達を頼みにコンビニへ行く。
指定時間を聞かれ、こう答える。
「君が届けたい時に自由に届けなさい!」

とまぁこんなオチ。


これに関連して漫画「封神演義」の女媧の台詞を思い出しました。
人間は自由を希求しながらも不自由に縛られることで安心している…
というようなニュアンスのセリフ。
(個人的な解釈が入っているので元とかなり違っているかも)


何をするか。


指針が何も与えられていない状態で自分で道を拓いて行くのは、思っているよりも遥かに難しいんだろうなぁとおもいます。

こうすればいい、こうなるはずだ、

そういう潜在的な意識が働いているからこそ人は「自由」を享受できる。
ただし、あくまでも選択肢の中から選ぶという形の不完全な「自由」を。

真の自由とはおそらく、何も選択肢が無い状況下で選択肢から作る作業をする場。
でも人間はそんな脅威としての自由に曝されることが無いように
知識を共有し、先人が乗り越えた自由という壁の先を行く義務があるんだろうと思います。


例えば、火曜日にある生化学総論の試験勉強するような義務だったり・・・。





・・・我ながらすごいこじ付け(笑
現実逃避していたつもりなのに、逃げ切れていなかったらしい。


はぁ・・・。



独り言

2006-10-15 01:42:57 | Weblog
認めてもらいたいと思っている自分がいる。
自分で自分の音に酔えるほどナルシストじゃないし、そもそも実力も無いから。

ただ、評価なんていくらでもお世辞を含みうる。
別にお世辞なんていらない。それに糠喜びするのは嫌だから。

だから今日Bモスさんにちょっと褒められたのは嬉しかった。
あれだけお世辞を言いそうに無い人も珍しいから。

少なくともワンステップ前に踏み出せたかな。


小林秀雄が芸術とは摸倣に在るという説を展開しているけれど
確かにそれは一理あると思う。
摸倣によって表現力は確実に高まると思う。
というより僕は摸倣意外に手段を知らないだけか…。



それにしてもテストが近い・・・。
日曜日は久々に勉強してみようかな・・・。