風吹く豆腐屋

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「銭ゲバ」と「カラマーゾフ」

2009-03-09 02:53:45 | Weblog
・・・武士道って何?(笑

あとの展開も読めてきたなって思ってたら、あれ、アムロ・・・
実は死んでなかったとか、分かってて死んだって流れになるんだろうな。
こういうの、もう見飽きた気がする。

そして、そろそろ終わると思うんだけど、いいんですか・・・毎回笑い話風の仕立てで。

「彼女とはそういう関係じゃない」、今週の名台詞に決定(笑)




最近、土曜のドラマの「銭ゲバ」を見ています。
普段ドラマは見ないんですが、これには珍しくはまりました。
荒唐無稽で、「それはないだろ・・・」って突っ込みたくなるシーンも多いけど、
まぁドラマってそんなもんなんでしょう。

面白い、というと語弊があるでしょうか。
少なくとも製作者側の意欲を感じます。
クレームを恐れず、あえてこういうのを放送するところに。


見ていて、「カラマーゾフの兄弟」と類似したシーンがあることに気がつきました。


「銭ゲバ」では、倫理観の崩壊している主人公が、自分を執拗に追う刑事を買収します。
その刑事の経済力では妻の手術費が払えないことにつけこんで。
最初は主人公の提案を断りましたが、妻の容態が悪化し、結局折れました。
(宮川大輔の熱演に引き込まれました・・・分かるよ、その憤り)

一方、「カラマーゾフ」では、
誰からも愛される主人公が、兄の起こした暴力事件の「口封じ」的な意味で
被害者の家庭にお金を渡そうとするシーンがあります。

これを病んでいる家族の療養費にあててください、と。

主人公は後ろめたさを感じてはいますが、奇妙なほどに純粋です。
お金をもらうことでどれだけプライドが傷つけられるか全く考慮に入れていません。


構造がそっくりなんです。

悪事を露見させないために、経済的弱者の目の前でお金をちらつかせる。
その場では「弱者」が激昂して、その提案をつっぱねる展開も同じです。


違うのは、「銭ゲバ」でそれをやったのは狂った「悪者」で
「カラマーゾフ」では「善人」であるということ。

同じことをしているのにこの描かれ方の違いは何なんだろう、と少し考えてみました。

(尤も、カラマーゾフのこのシーンについては
主人公の欠点を描くために意図的にこうしたのではないか、と解説にはありましたが)


原因はやっぱり、「金」の特殊性にあるのかなぁ・・・

必要不可欠なものには違いないけれど、
卑しいものというイメージはどうしてもつきまといますよね。

さらに、「金」の認識は地位や立場によって多種多様。
これは「銭ゲバ」のテーマにもなっているとは思うけど、
現実世界では・・・どうなんだろうなぁ。

他は・・・
動機が全く対極のものであったとしても、結果が同じであれば、どう取られても仕方がない。

そんな月並みな一般論も導き出せそうです。
そしてそれは特にお金のようなデリケートなことについて顕著になる、と。



「銭ゲバ」は次回が最終回。
どういう風に決着がつくのか、すごく気になります。

古典的な小説を現代風にアレンジすれば立派にドラマが作れる。
今回の発見はそれを教えてくれました。

淘汰される中残ったのは、やはりそれだけの理由があるってことなんですね。



最後に。 

「想定の範囲内」の人や、「金儲け、悪いことですか?」と言って
捕まった人たちをふと思い出しました。

真っ向から全否定していた僕も幼かったな・・・