学習障害(LD)の定義
学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算するまたは推論する能力のうち特定のものの修得と使用に著しい困難を示すさまざまな状態を指すものである。
学習障害は、その原因として中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や環境的な要因が直接の原因となるものではない」と定義付けられています。
旧文部省(1999年)
定義というのはなんでもそうですが、それにかかる問題やらしょうじょう現象を一定の文字数の中でまとめようとする性質がどうしてもありますから、上に引用したものも、わかったようなわからないような、「だから?」と聞き返したくなるような気もします。
例えば上段にある「著しい」という表現も、明確な線引きなんかないですから、受け止める人の数だけ解釈の違いも生じがちです。
同じくこの段の「困難」もそう。
どの段階からが困難なのかがよくわからない。
実際、この10年で50人を超える、いやもっと多くの「著しい困難」に分類された子供をみてきましたが、確かに「著しい困難」だった子もいれば、多少時間はかかったものの、根気と工夫とで「ちっとも困難ではなくなった」(当然「著しさ」なんかない)例も少なくありません。少なくとも、個人的見解では「困難」などはありませんでした。
反対に、初めのうちは気づかなかったのに、すぐに、或いはしばらくたって「もしかしたら、この子は学習障害?」と思わざるを得ない子も。
この場合、子を取り巻く大人たち(直接的には保護者)の現実を見る目(もしくは現実から目を反らす接し方)などを含めた諸問題が影を落としていたという要因もありましたが、いずれにせよ、この学習障害という概念、イメージ、実際の現れ方は、前回も書きましたが実に千差万別。
正直に書きますが、私たちも全てにおいて、この学習障害(と言われる)の子との接し方において、「勉強ができるようになる」「成績が一定数上がる」ということに成功するわけではありません。
もしも「絶対うまくいきます」などというなら、とんでもない誇大広告、大ぼら吹きです。
でも、現実に、これまでうまく進めてくることができた例も少なくありません。
「うまく」とは、それこそ定義ですが、入会前に比べ、保護者の方の安心、満足が(たとえ100%ではなくとも)ここに伴ったこと、と言っておきます。
単に「勉強ができるようになった」「持続力が増した」「うまくコミュニケートできるようになれた」(←これなどはアスペルガーの部類)といった一断面ではくくれませんが、確かな(そして一定の)満足を頂けているという現実がここにはあります。
一つだけ、その中身に触れますが、素人判断のみでコトを進めるのではなく、この間医師の意見、見解、アドバイスなどをしっかり受け止めて学習塾の姿勢やカリキュラム等の現場にこれを生かしていくという姿勢が大切です。