人間はその性質上すぐ目の前に迫っている危機を容易に認識できない生き物です。
生命の危険も含めて、の話ですが、ここではもっと身の回りに普通に近接する問題を言っています。
私(mastarK)は以前金融機関に勤務していた時期が10年くらいありました。
ちょうど金融ビッグバンが叫ばれていた頃の話で、当時は世の中が大混乱していたころで、例えば私の会社の取引先で、尚且つ当時私自身が担当していた有名な金融機関がいくつも倒産していました。
金融機関だけでなく、例えばゼネコンや不動産会社などもその荒波の中で右往左往して、いくつも倒産の憂き目にあっていました。
でも、その会社に勤めていた人たちはといえば、殆どが不思議なくらいに危機感を持っていたとは言いがたく、漠然とした不安はあったものの、まさか自分の会社が倒産してしまうなどとは考えてもいなかったように思います。
例えば、Y証券の管理職であった知り合いは、同社が自主廃業を余儀なくされたその前日に「何とかなるよ。ウチの会社は大丈夫」と言って笑っていました。
話は変わります。
この「危機感のなさ」は、企業だけではなく、個人においても同じであるように思うのです。
例えば、あまりまじめに勉強していない子、言って聞かせても改善の努力をしようとしない子達の多くにこれが見られます。
彼らも「進学しない」といっているわけではなく、また、どの学校でもよいとも言ってはいないのです。
でも、自分から努力(他人から見て評価するに値するような)しようとはしません。
私たちから見ればそういう事の先にあるのが何であるかは容易に分かります。
「志望高への不合格」です。
場合によったら、不合格以前に、そもそも志望する学校の受験自体させてもらえないことも。
そういう子達に共通する危機意識のなさ(もしくは低さ)は、言い方を替えれば
「その時になればどうにかなる」
「誰かが何とかしてくれる」
といった、根拠のない楽観です。無責任と言ってもよいかもしれません。
私たちは学習塾ですから、勉強(の仕方)を指導するのはもちろんですが、このどうにかなる」「どうにかしてくれる」意識を根絶するのは本当に難しく、しかしこれがある限り物事を正しい方向に推し進めることが本当に困難であるという現実には大変頭を悩ましています。