「そんなこともわからないのか」とは、なんと不躾で好戦的な台詞かと思う方もきっとおられると思います。
でも、日々生きていると思わずそんな風に思ったり言いたくなってしまうことがあります。
そんな時、多くの場合私は昔読んだことのある次のような詩の一節を思う起こす癖が何時の頃からかつきました。
♯気持ちよい生活を送ろうと思うなら
過ぎたことにくよくよせず
滅多なことに腹を立てず
とりわけを人を憎まず
何時も現在を楽しみ
そして未来を神に任せよ
細かな言葉の用い方などは少し違うかもしれませんが、作者が言いたいことは概ねあっていると思います。
昔、JOHN LENNONのIMAGINEというLPレコードを聴いて、争いのない世界を歌い上げるJOHNの精神の一端をそこに垣間見た気がした時、同時にそのレコードの中のHow do you sleep?というタイトルの一曲で、争いのない世界を想像してごらんとい歌うその同じ人物が、かつて仲の良かった(と思われる)Paul MacCartneyをこれでもかと小馬鹿にする歌を歌うその滑稽さを見て「なんだかなあ」と思ったことがありますが。「なあんだ、かっこいいことを言いながら自分自身争いをしているじゃないか」と。
それと同じことを、自分自身もこれまた日々経験しています。つまり、良い詩を読んでいながら、腹も立てるし、人を憎むことだってあります。
救いは、そうしている自分に気づいたときにすぐさま「いかんいかん」と自らこれを諌め、結果としてこれらを「滅多にない」状態に近づけようと努力する姿勢にあるんだ、という自覚です。
いまこれを、ものごとの、それも子供の勉強の仕方などをめぐる生活上の、大切ではありますが、ごく一部分にすぎないことの本質的なところについて考えていない(ように見える)、それでいて短絡的で思慮の欠けた行き当たりばったりの態度を繰り返すことで、保護者として大切な子供と一緒に暮らすことのできる宝石のように貴重な極々短い時間の多くを結果として無駄にしている(ように見える)人の利益(と書くと如何にも即物的で卑小な感じですが)の為に、かつて自分自身にそういう過去があったという自責の念と共に、何が今の自分にできるのかという思いで書いています。
昨日は非常に忙しく、今朝目覚めても頭の中はまだ昨日の喧騒(まるで太宰の小説の「饗応夫人」のよう)が脳内に残っている、そんな状態の、いわば無意識に近い部分でコーヒーを口にしながら書きました。